2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧
(校正を兼ねて) 『100万回生きたねこ』(佐野洋子著作)を私が初めて読んだのは、すくなくとも高校三年生のころであり、したがって大人になってから読んだといっていいとおもいます。この作品は絵本であり、1977年に出版されて以来、今でもなお紹介される…
『100万回生きたねこ』のアマゾンでのレビューを読んでみて非常に衝撃を受けた。全部で183件のレビューが書かれていて、そのなかの149件が最高の星五個を付けて書かれている。星四個から五個までのレビューの、なるべく短いものを以下に引用する。 悲しくな…
「構造分析」という用語を自分で使っておきながら、これがどういった方法でなされるのかいまいち分かっていない。 それで、グーグルにぶちこんだところ、一番目に出てきた結果におどろき、二番目もまたおなじようなもので笑えてきた。この後の三つ目には「…
もし、列車のひと車両のなかに一人でいるとしたら。ぼくが足をかけた車両は乗車した駅からすでにガラガラだった。街から森のほうへ向く列車。つぎのつぎの駅でその車両には多く見積もっても五人しかいなかった。ぼくが把握しているだけでも三人。けれども、…
子供が歌う讃美歌のような声は、どうしてあんなにも天使だ。少年または青年でも少女のように聖域を張る歌声だ。くりくり金髪パーマでむっくりとした体に、両翼が背にはえた幼児たちが天界から降りてくる映像が脳裏で再生して照らしだし、幽体と身体が分裂し…
わたしはロボットでそれが誇りだとおっしゃるロボットは、‘Good Sleep'をわたくしに促すわけだけれど、まだ眠れるわけもなく‘Good Sleep'の高音が右上の脳みそにエレキが伝達し刺激しあい、OSのエラー音がリズムを保つその其処からの振動が心臓にも行きとど…
精神分析学は、現象にはいくつもの意味があり、精神の領域における徴候にはいくつもの意味がある、という基本的な前提の上に機能している。つまり、それらの徴候は多義的であるという前提である。その反対に、意味の問題、とくに多義性の問題が深刻さを持っ…
くだらぬ文章だ(まるで他のものはくだるかのような言い草だが。ここが江戸だ)。この勢いもそろそろ落ち着いてきそうだ。頭の回転がどんどんとろんとろんに鈍くなっていくような気がして、気づくとそういう予感がした。蓄積した知識の発散の時期であった。そ…
シャワーを浴び目を醒ます。いまはまだ家を出るには早いので、軽めの朝食を摂ることにする。カゴから食パンの袋を取り出し一枚だけその袋の上に広げる。冷蔵庫にはマーガリンがない。マーガリンのない冷蔵庫とか、喧嘩を売られている気分にさせられる。仕方…
E.ヘミングウェイ、『海流のなかの島々(上)』。二度目の読書の中断から長らくして、気まぐれに途中から読書再開。 猫のしぐさの描写がかわいい。猫は飼ったことがないけれど、猫とともに暮らしてみたい。だが、死んだときのことを考えると悲しくなる。 キュ…
多くの人に知られずにほとんど金を消費されることもなく息を潜めている、マイナーでありながらもぼくの目に適うような素晴らしい音楽というのが沢山世の中には溢れている。ぼくがいま知れたものもそのなかの極一部でしかなく、それがとても残念であるのだが…
「夏の第一呼吸」叙事詩四十五番歌 私にはどちらかといえば、秋の始まりあたりが頭で映像化されるのだけれども。ここでも、第一呼吸がそろそろ吹きはじめる時期かと思う。 ぼん ぼぼん っぼっぼぼん ぼん ぼぼん というアコースティックの低音部が揺れている…
対峙する者が、理性が通じる相手でないとわかったとき 自身はそれに抵抗する最善の手立てを模索するために、 必死に理性を働かせなければならないと考える 他者の剥き出しの本能的所作を見たとき、 自身は魂の奥に潜む「自ら」が湧き出てくるのを 手や唇の震…
急行列車の時間的快適さはすばらしいな。軽度の酔いや毎度の重圧など、あらゆる不快からその爽快さによって、ぼくを快にする。(けれども今は、松屋の豚丼並が腹部を圧迫するのだ)。 気分転換に今朝は、読みかけだった白石一文の文庫を手に取った。今日一日…
「解釈者は詩を解読するのではない、詩を作るのである」(スタンリー・フィッシュ、『このクラスにテクストはありますか--解釈共同体の権威3』) この文はおそらく少なくとも二度目であるが、いまこの文章を読みなおすまで、すっかり忘れていたものである。そ…
ネット上のブログなどで「大切なことなので自分の言葉で書きます」という、当事者にとって繊細な事実について告白する際にこういった定型句が出来あがっているように思われる。なんて白々しいいやらしい文句だ!と私はおもうのである。「自分の言葉」ってな…
風呂場での身体洗浄において、蒙溟(もうめい)に迷盲する言語活動はセルフプロデュースしそれをセルフメモライズす。歪曲も共に、こうしてセルフリプロデュースする。一昨日の夜に、他家製梅酒をほぼストレートでマグカップ半分くらい飲み干し、つぎにレモン…
そうだな。次になにを手に取るかはもう決まっている。しかし、それが書架にあればという条件はあるが。 ジョイスの『ダブリン市民』を終えた。活字中毒者のための本かと思った。ほとんどが、読んでいてなにも特に思いが浮かんでこないという無味であった。…
つぶつぶの粒子はわたくしとの間に浮沈する持続する延々は捕縛をもくろむだれかが砂場に設けた隠し穴インジケータをみつめていよう右と左の徒競争緑が赤に達すると光とわたくしとがともに明滅する波にゆらゆらゆられ帆はめいいっぱにひらかれるはたはたそれ…
一、作品 犬 なぜ吠えるのだ、二疋とも 吠えてこっちへかけてくる (夜明けのひのきは心象のそら) 頭を下げることは犬の常套〔じゃうたう〕だ 尾をふることはこわくない それだのに なぜそう本気に吠えるのだ その薄明〔はくめい〕の二疋の犬 一ぴきは灰色錫…
二、語釈 注、「( )」内の語は辞典に記載されているままの名称。「※」は本文中にはない用語。 【犬】 狗とも。(中略)総じて賢治は犬と「やっぱりしょうが合はない」(詩[丘陵地を過ぎる])傾向があるようである。小学生時代によく近所の犬に吠えたてられた体験…
三、先行文献と参考資料 参考文献1a 『賢治の事務所』、「「犬」の創作 1922(大正11)年9月27日」 「犬」の創作 1922(大正11)年9月27日(http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/h4/19220927.htm) ■『春と修羅』の中に「犬」と題された詩がありま…
四、連ごとの分析 ※作品自体は連分けがされていないが、独自の連分けをして分析している。 ■第一連(l.1~l.7 「なぜ吠える〜吠えるのだ」) 「わたくし」は犬が自分に向かって吠えることを疑問におもっている。二匹の犬が吠えつつ「わたくし」のほうへ駆けてく…
五、鑑賞と感想 ■「犬」と「東岩手火山」 この作品は1924年4月20日に刊行された『心象スケッチ 春と修羅』の詩篇『東岩手火山』に収められていて、制作日付は1922(大正11)年9月27日とされている。参考文献2に「例えば詩篇では『東岩手火山』に北斗、北極星…
六、参考文献・資料 ※1加倉井厚夫『賢治の事務所』、(http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/) 1a『犬』の創作 1922(大正11)年9月27日」 (取得日、2010,06,04) (http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/h4/19220927.htm) 1b 「賢治の『犬』と『…
実に声を出し旋律を再生させるというのは管楽器のなかみがふるふると振動していくように 而してこころもシンクロナイズするのですわたくしの体内のあらゆる器官や必要不必要などは関係のない体液の流動とでアンダーカレント(底流)から昇るので血液が蒸発して…
先ほど数十分前ほどから、ovalの曲を20曲まるごとスピーカーで流し続けるというoval祭りを開催いたしました。"Dok"と"Systemisch"という二枚のアルバムからであります。はじめ、わたくしはこれはどう考えても苦行だと心配しておりました。けれども、パソコ…
浮遊ログ 交信 交信 そしてイグニッション(点火) マルマリのクエスチョン 交信 交信 そしてイグニッション 淡々と暗澹とイグニッション 縦横の区別が付かず宇宙を漂っているよう プラネテスとマルマリ(Marumari)とジョセフナッシング(Joseph Nothing)が愉し…