もし、列車のひと車両のなかに一人でいるとしたら。ぼくが足をかけた車両は乗車した駅からすでにガラガラだった。街から森のほうへ向く列車。つぎのつぎの駅でその車両には多く見積もっても五人しかいなかった。ぼくが把握しているだけでも三人。けれども、右のドアと左のドアまでのそのひと間隔の内にはぼくだけしかいなかった。『海流のなかの島々(下)』をゆるやかに読み進めつつこういうことを考えていた。こういった時には、これを思い出さずにはいられないのだった。
南ボストンのとある列車のなか。窓からは斜陽が射し、窓枠の影が斜交いにわずかに揺れつつ田舎の情景がそとではめくるように流れる。その車両には、ウィル・ハンティングが朱色のふわふわとした座席にひとりで居る。その恰好は、傾きつつある十字架か、それに磔にされたキリストかのように、だらしなく斜めに背もたれによりかかった身体から下肢がぐんと伸ばされ、ウィルはうつろにそとを見つめる。
ぼくが乗っていたのは、かび臭く下水臭くはたまた何時間もテーブルにおかれたままだったムニエルの臭いのする地下鉄道であり、そとに見えるのは人工的な痛く射す光か真っ黒な壁面だけなのだが、こうして『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のシーンが頭に湧いてくるのだった。
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