sibafutukuri

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終息は六月のしぶきに因る

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  くだらぬ文章だ(まるで他のものはくだるかのような言い草だが。ここが江戸だ)。この勢いもそろそろ落ち着いてきそうだ。頭の回転がどんどんとろんとろんに鈍くなっていくような気がして、気づくとそういう予感がした。蓄積した知識の発散の時期であった。それを形にしてなんとか出し切ったようにおもえる。なによりもそれは優先されていた。排出した形がかならずしも主義ではなく、過程から得るものも余程大きい。
  書くという比較的原始的な行為であっても表現をするにはそれなりに労を要する。そして時間を費やす。なによりも頭の中から思うように、外へ出ていかない意識に幻滅する。その手こずりは、時に楽しくもあるが、いまはただ厭わしい。そろそろ勢い余った時期に飽きたのだ。できるのならもう何も書かなくていい。いまはそのくらいにおもう。しかし、書かなければ分からないこと、気づかないことがあり、もはや書かなければ思考が可能でないようにさえ思えてくる。で、思考は必要か?

  歩くのが面倒だな、立っていることさえ。たたずむヒノキにもなれないのだし。それならば、どうせならあれだな。道路の路面の細かな凹凸があるでしょう。あのごりごりとしたミクロな隙間に、風に運ばれるような粉塵と化してするると入り込もうでないか。そうすれば隙間のそれは雨水に混ざり混ざりて、汚泥とまとまることができる。水が低きにながるるそのままに、正体の知れぬものとして地下濫堂へのエントランスであるあの地面鉄格子などなどから、するりとフリーフォールを遊びながら見知らぬ場所を流浪していこうでないか。今夜のしぶきがそうやってわたくしさせるのだ。