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『亜人』から考える生と死の境目

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 定期購読してる『ナショナルジオグラフィック』の最新号2016年5月号の「自然と人間」特集が先日届いてしまったけど、先月の4月号「生と死」特集を読んでなかったので焦って読み始める。


亜人(1) (アフタヌーンコミックス)

亜人(1) (アフタヌーンコミックス)


 最近見たアニメの亜人は死を軽く扱っているというような感覚を受けることも多く、例えば『ドラゴンボール』も近い意味で、子供に見せるのを躊躇するような面があるアニメ。この二つは年齢対照が全然違うけど。『亜人』は過保護的に考えれば高校生にも早い。


 『亜人』を連載してる『good!アフタヌーン』は読んだことないけど、『ヤングジャンプ』とかと同じ読者年齢層の青年誌かとおもう。『ヤングジャンプ』と言えば『ガンツ』が連載されていて、あれも描写のグロさもあるが、終盤では『ドラゴンボール』的な命の軽さがあった。


 でも、『亜人』の軽さはそれらの比ではなくおもえる。亜人として熟達した佐藤の戦いっぷりを見てわかるように、ゲーム的な生死の観念が強い。良くも悪くも、作者もそこらへんがちょっと超越しているんじゃないかと思えてくる。


 でも、『亜人』の死の軽さもそうだし、「亜人は人間ではないのか」とか「じゃあ人間ってなんだ」とか「亜人は死ぬのか?」みたいな諸々。そこらへんは突き詰めて考えるきっかけとして強く作用しそうで。

 

 『ナショジオ』4月号の「生と死その境界を科学する」の記事に、「脳死を『人の死』と思えるか」という見出しがある。脳死亜人の死、この二つは死の考え方と深く繋がっていて、現代人の考えられる死の観念や死の感覚で、首とか頭とか脳の喪失は、なかなか越えがたい一線でもあるようにおもえる。

 

「凍った川から奇跡の生還」
「死の世界から誰かを連れ戻すのが奇跡だとすれば、それは時として現実に起きる」
(『ナショナルジオグラフィック』2016年4月号、p.45)


  蘇生がばかげてマンガちっくなことと思いがちだけど、事実は小説よりも奇なり、奇跡的という枕詞がつくほど稀だとしても、実際に起こり得るからあながちばかにできない。


 また、医療技術の発展により人の命を救えるのはいいとしても、脳死みたいな現象が起こることになって、それによって結局死と生の境目が曖昧になっていく。しかも用語としの脳死が使われ始めたのは1960年代後半で、たかだか50年でそれまで何百年も引き継いできた人間の経験は覆らないから困る。

 

「『カウボーイの精霊』が怖がらなくていいと励ましてくれた。」(同誌、p.44)


  臨死体験をした人の発言はスピリチュアルじみてはいるけど、それが科学的に突き詰めていけばただの錯覚だとしても、人間が見る光景としてそれは現実だし、その人は蘇生後はその影響を受けて生きていくことに変わりはない。


   臨死体験をした少年が日本の特攻隊員のオバケが見えるようになり、他人の葬式で出会った少女の死を見届けることになる。ガス・ヴァン・サント監督の『永遠の僕たち(Restless)』は神秘的な死にまつわる不思議な映画だった。

 

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 『亜人』はまだテレビアニメ版しか見てないから、まずは原作のマンガを読んでみたい。作者の桜井画門さんのツイッターを見たら、制作中やイラストなどを結構アップしているみたいで興味が増した。