sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画あるいはゲームの感想、攻略などについて書こうかなとおもっています。

読みたい本はどこへ行ったか

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傍に何冊も本が積まれているし、Kindle Paperwhiteにも
読まなければいけないような本がいくつか収まっている。
でもいま、自ら進んで読みたい本なんてない気がする。
あるのかもしれないが、そうでない本の方が多すぎて。
読まなければならない本、
それが積まれすぎていてただの消化試合のために時間を過ごしているようだ。




ガルシア=マルケス百年の孤独
笠井叡『天使論』
ポール・オースター『オラクル・ナイト』
上田早夕里『華竜の宮 上』
三上満『賢治の旅 賢治への旅』
文学界 2014年1月号』




など。
以上が、積まれてしまっているもの。
なかなかに義務的な気持ちでちまちまと消化していくしかない。
読んでいても満たされないのだ。




名のある本、著者は読んでおいた方が良いだろうという未来のためとか、
その著者が好きな人と会話を合わせるようなコミュニケーションのためとか、
そんな読書が多いせいかもしれないが。
純粋に読んでいて楽しいとか面白いとか、
そういう読書から年々ズレいっているのを感じる。




特に借りた本やもらった本などは興味がなかったりつまらないと、
さらさらと流し読みをしてしまうもので、
どんどん表面的に目が流れてそれで読んだことにしてしまう。
それも一つの技術だろうが、時々これでいいのかと疑問に思う。




ただ活字を追っているだけで幸せ、
みたいな活字中毒みたいな人種が世界のどこかに本当にいるのかもしれない。
しかし、ぼくは本をわりと読むほうだが、全然そういう人種じゃない。
センスもなくつまらない文章ほど読みたくない文章はない。
本は薄い方がいい。
文字は少ない方がいい。
なんて考えると、本なくて無くていいのかもしれない、
とも思ってしまうが、それは極論だろう。






Kindle版の『旧約聖書』をこのまえ買って、これは読みたいと思う方だが、
あまりにもページ数が多く、なかなか退屈なのでちょっとつらい。




わりと最近、2013年に読んでよかったものを思い浮かべる。
ソローの『ウォールデン』(「森の生活」)、
コンラッドの『闇の奥』、
ロラン・バルトの『明るい部屋―写真についての覚書』。
これらはよかったな。
また読みたい。




しかし、本を読んで楽しくないというのは、その本のせいもあるだろうが、
読む者の責任もあるだろう。
別に読書に限らないことなのだが、
楽しもうという意思や前向きな気持ちが足りないのだろう。




自分の関心の幅を広げること、
苦しいこともそれを苦だとだけ考えないこと、
自分を閉ざさず、開いていくことが必要だろう。
読書に限らず、生活においても。




反省をする。
反省はする。
そういうことに気づきはしていたが、改善の見込みなく、改善のきっかけなく。




読書ほどつまらない娯楽はない。
これは前もどこかで書いたが、最近は本当にそういう気分だ。
ただ、読書を「娯楽」と考えることが問題なのだと思うが。
読書は一種の修行だろう。
読書はコミュニケーションの一手段だろう。
そういう意味で、他の娯楽と比べて読書の娯楽性は、
すくなくとも今のぼくにとってとても少なくなっている。
娯楽性の少ない娯楽なのに、娯楽だと思って向き合うから疲れるというのもあるだろう。






愚痴っぽい文章で申し訳ない。
しかし、本が好きだと思われているかもしれないが、
そんなこともないのだとなんとなく示しておきたかったし、
たまには弱音を吐きたい気分だったのだ。
ここはわりと個人的な空間だし許されるだろう。




思い返してみれば、
昔からぼくは本をたいてい苦しみながら読んでいたと思う。
今でもたぶんこれからも苦しみながら読むと思う。
でも最近は、その「苦しみながら読む」という意味が、
自分のなかで疑問視されているのだろう。
だから読書に前向きになれずにいるのだろう。




しかしなんと言ってみたって、
傍に本が日に日にどんどんと積まれていくのだから、
苦しみながらもこれからも読んでいくのだろう。




ウォールデン―森で生きる (ちくま学芸文庫)

ウォールデン―森で生きる (ちくま学芸文庫)

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