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sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画などについて書こうかなとおもっています。

100万回ねこを殺して生かした話

文学 創作物語
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  ぼくは100匹のねこを殺しました。はじめの一匹を殺した時にすぐに次のねこが欲しくなって飼いました。そのねこを殺した後もつぎのねこが欲しくなったのでまたねこを飼いました。だからぼくは100匹の猫を殺して100匹のねこを飼いました。
  あるねこは包丁で串刺しにし、あるねこは車のタイヤでぺちゃんこにし、あるねこは尻尾を切ったり目玉をえぐったりして殺し、あるねこは暴れるのを抑えたままお風呂のなかにいれてびしょぬれにして殺しました。そういったように、100匹のねこを殺しました。
  それで101匹目のねこを飼うことになりました。そのねこは今も生きています。そのねこはいつの間にかガールフレンドを作ってきて102匹目のねことして我が家に住み着いてしまいました。あるひ、102匹目のねこがねこをたくさん産みました。101匹目のねこは102匹目のねこととても仲が良く、いつもいっしょにいたいと思っているように見えます。いつまでもそうしていたいように思います。産まれたたくさんのねこたちも見るものすべてに愉しそうで、101匹目のねこたちもそれを見て満足してとても落ち着いているように見えます。彼らは幸せだとおもいます。
  彼らを見ているとぼくまで幸せになってきます。


  「大人」は『100万回生きたねこ』を読む時には、空気しか読んでいない。つまり、社会(周囲)の空気と作品の空気(雰囲気)しか読んでいない。読んでいないと言うより、「大人」はそういう読み方しかできないからそうとしか読めないのだ。私からすればそれはテクスト=本文の誤読である。

  なぜ100万回生かして殺す必要があったのか?絵本でも小説でも、ひとつの話を作るときに100万回も殺してまた生きかえすというその犠牲は必要なのか甚だ疑問だ。私は仏教的輪廻の思想でさえ怪訝であると思うし、死んで生きてを一度やる程度ならともかく、ましてや100万回それを繰り返す意味はなにか。なにか自分に都合の悪い失敗をしたら、「リセットボタン」を押せばいいというTVゲームの中でならそれは可能であるしそういった趣向も悪くは無いだろう。では、現実ではなにか都合の悪いことが起きればどうすればいいのか。自殺してまた生き返ればいいのか。
  また、どうやら最愛の人が死んだときにも自殺をすればいいらしい。『100万回生きたねこ』の主人公のねこは愛した白いねこが死ぬと廃人状態になり自殺をする。それを「大人」は褒めたたえるのだから、最愛の人が死んだときにも自殺をすればいいし、都合の悪いことがいちいち起きるごとに自殺をすればいい。生きるのに飽きたら自殺をすればいいし、つまらなかったりつらくなったら自殺をすればいいし、仕事で失敗して上司に怒鳴られたら自殺をすればいいし、大学受験に失敗したら自殺をすればいいし、自分の顔が不細工だと気付いたら自殺をすればいいし、生まれた家庭が恵まれていなければ自殺をすればいいし、愛されて愛せるような相手を人生の内に見つけられなければ自殺をすればいい。『100万回生きたねこ』を読んだ(つもりでいる)「大人」たちはそう言っているように私は思える。

  そして、好き勝手に命を制御した後に、とても大切な人―これは例えば恋人や友人や子供や家族などのことなのだろう―ができたら、その人を自分を犠牲にしてでも守ろうとして、それは称賛すべき成長した人間の行いであるらしい。それを「大人」は「愛」とか「生きることの素晴らしさ」とか「家族の大切さ」と表現して、これが分からない人間は未熟であり「子供」だと言わんばかりに悦に入っている。
  そういう「愛」などが素晴らしいことは仮に認めるとしよう。だが、その「愛」が100万回死んで生きたねこの上に成り立つのか?ということが問題であると私は言う。生物の命を人間が自在に制御しようとすることがおこがましく、忌むべき行為なのではないのか。「クローン生物」や「動物実験」「人体実験」に反対するつもりはないが、人間が生命を弄んだ生物が、家族をつくって幸せに暮らすことが「いい話」なのか?というのが問題である。

  私はこの『100万回生きたねこ』自体の中身は避難する気はないので、それが悪いとは言わない。だが「いい話」とも決して言わない。なぜなら人が生命を弄び、その生命の育む愛を喜ぶことが人間に許されるのかどうかが分からないからだ。
  私が最も不快なのは、『100万回生きたねこ』のテクストを読まずに、空気だけを読んで「いい話」と評価する自称「大人」たちだ。「生命の制御の上に愛は成立するのか」という問題を無視して、テクストを曲解させたまま思考停止の誤読のままでテクストそれ自体を読んだ気になり、自らが成長した人間であり「愛」の素晴らしさを知るものぞよと息巻く姿が不快であるのだ。


100万回生きたねこ』というテクストの読解(20100630)
http://d.hatena.ne.jp/sibafu/20100630/1277842428


100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

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