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蓮實重彦さんの講演録「フローベールの『ボヴァリー夫人』―フィンクションのテクスト的現実について」を読みたくて買った『群像 2012年9月号』。相変わらず蓮實さんの文章は頭に入ってこなかった。そもそも、ぼくが『ボヴァリー夫人』を読んだことのないことに問題があるとおもうけど。
それで、舞城王太郎さんの中編小説「私はあなたの瞳の林檎」を読んだ。ふつうの恋愛についての小説だった。
舞城王太郎さんの名前は一年くらい前までは「舞城玉太郎」だとおもっていて、下ネタっぽい印象があって、その後もなんか変な印象があるのはこの思いちがいのせいもありそうだ。あと、本のタイトルが奇抜だったり。
舞城さんの作品を読むのはこれが初めてで、連載じゃないし中編でお手頃なので読もうとおもった。Wikipediaだけのイメージだと、「作風」の項目にあるような「ミステリやSFなどの要素をスリップストリーム的に盛り込んだ物語、異様な超現実と卑近な日常の錯綜するディテール、独特のスピード感とリズムを持った口語文体を特徴とする。」(http://p.tl/K7hO)という文章などのイメージで、ふつうとは違ったぶっ飛び気味なイメージを持っていた。
でも、今回の「私はあなたの瞳の林檎」はそういうイメージからするとすごくふつうで肩透かしを食らったみたいだった。ライトノベル系と純文学系の作品でだいぶ作風が変わるのだろう。まったく一緒なわけがないけど。
物語は、ある男の小学生から高校生までの話で、その主人公は小学校からの馴染みの女の子に純粋に一途に好きでいつづける。物語終盤に革命的なことが起こるけど、それは事実というよりも妄想なのだとおもう。事実として起こったことだとしても、妄想のように語られて妄想みたいなできごとだからあまり深くは考えられなかった。夢オチのような虚無感があって
こうまでふつうの恋愛話だと、お金払って時間をかけてまで読む必要性を疑ってしまうものだ。新鮮味も刺激も薄いので。でも、成人したぼくのようなひとがよむと、小学生高学年の男女の関係や遊びなど、ノスタルジックに思える部分はある。
小学校を卒業して中学校に入学するまでの春休みの二週間、主人公と後に片思いになる女の子は毎日遊ぶようになる。そのなかで、多摩川を自転車でくだって海に行くという遊びが企画される。実際に二人はそれをやりきって、一日目に途中まで行って自転車をそこに置い電車で帰り、二日目にまたそこに戻って自転車で海まで着く。
今だと絶対にやろうとは思わない遊びだ。疲れるし時間の無駄だしなんの意味があるかわからない。でも、たしかに小学生くらいの頃なら川をくだるとなにがあるのか、とかやたらと遠くに夢を抱いたりしていたからやりそうな遊びだとおもえる。小学生と中学生の隙間という、男女を意識し始めるかしないかみたいな中間的な時期もまた懐かしい。
そんな懐かしい部分だけはよかったかな。この中編は全体的に語り残しているような部分が多くてそこが気になった。片思いの女の子の林檎のおかしいかんじの母親のこととか、家庭のこととか。長編になり得る可能性が残っている。でも、長編だったら読まなかっただろうし読みたいとは思わないけど。
舞台になっている土地が生活圏と近くて、作品に利用されているかんじがしていやだった。
つぎは同じく9月号の『群像』に掲載されている、海猫沢めろんさんの「モネと冥王星」を読んでみたい。作者の名前のインパクト!
- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
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