- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/07/24
- メディア: 単行本
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検索というのは、自分に都合のいい物語を引き出すのに最適な手段です。検索ワードごとにさまざまな物語が生まれるからです。
(東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』、p.98)
批評家は引用したような文脈での意味で「物語」という語を多用する。自分もそれにかぶれたところがあるのでたまに使うんだけど。手短に意味を込められるので非常に便利でもあるので。ただ門外漢としての大多数の人からすれば意味不明だったり違和感を受ける言葉でもあるのかもしれないけど。
さきほどのように、例えば検索結果という現実さえも「物語」と言い切ってしまえるのは、批評家が事実に即した真実など空想であって、人それぞれの認識や解釈による物語でしかないとわかっているからだろう。
批評家がなぜその「真実」をわかっているかと言えば、逆説的に批評家が常日頃行っている仕事こそが事実の意図的読み替えによる「物語」の創作だからだろう。例えば小説を批評するにしても、読者が納得しようとこじつけだと憤慨しようと、その批評という結果は批評家による物語にすぎない。
東浩紀さんの『弱いつながり』を読んでいて、特に98ページの引用した部分を読んでいて、東さんが言いたいことがすんなりわかった気がした。人は見たいものを見ようとするし、その悪い癖を悪化させるのが検索というツールだと。だがそのツールも使い方によっては世界を広げられる、みたいなことかと。
東さんには興味が以前からあり、手にしやすい物からいろいろと読んできた。その意見に当然ながら全面的に賛同できないとしても、刺激は受けるし世間的な知名度も高かったりして。だから批評家としては大塚英志さんの方が個人的に好きではあるのだけど。
いままで東さんの著書では、『動物化するポストモダン』、『ゲーム的リアリズムの誕生』、『セカイからもっと近くに―現実から切り離された文学の諸問題』などを呼んできた。でもやはり、『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』を一番読みたいとここにきて思うのだった。
と、ここまで『弱いつながり』を読み終わるまでに書いていた。そして読み終えるにあたり、あとがきのような役割を持つ「おわりに」という章に辿りつく。最後に、そこに記してある言葉を引用して終わりたい。
現実を知る。
でもそれは記号を離れることではありません。
現実に戻ることではありません。
戻る現実などありません。
わたしたちは記号しか知らない。
だから記号を旅するためにこそ、現実を旅する。
(『弱いつながり』、pp.163-164)
- 作者: 東浩紀
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