sibafutukuri

ゲームの攻略情報・感想、音響系音楽、文学、アニメ、映画などについて書こうかなとおもっています。

神なきユートピアは本当に理想か?『ズートピア2』が隠してしまったもの【考察・解説】

スポンサードリンク

 

神なきユートピアは本当に理想か?『ズートピア2』が隠してしまったもの【考察・解説】

『ズートピア2』を見たけど、かなり面白かった。

実は一作目をたまたま今年初めて見たんだけど、2016年の映画なのでもう9年前だ。

ある意味今年初めて見て、今年続編も見られてラッキーだった。

 

アニメ映画としてはとても満足していたんだけど、ある小さなこと?大きなこと?に気づいてしまった。

「ズートピア」では「神・宗教・信仰」が出てこない、いや「排除されている」と。

そんな発想から生まれた思索をツイッターに書き連ねていたので、そんな考察・解説のようなものをここにも載せておく。

 

 

目次

 

神なきユートピアは本当に理想か?

 

『ズートピア2』を見てきたけど、映像のすごさだけで100点満点なすごい映画だった。CGだけど、もはや背景なんかは実写に近くて、技術の高さを忘れて見てしまう。ディズニーらしい大げさな表情の変化が印象的。

 

『ズートピア2』は総合的に大満足の映画だけど、ストーリーの方では粗もあり「動物だけの平和なユートピアだけど、"敵=悪者、黒幕を作らなければ物語ならない(できない)"」というところが、個人的に残念な気持ちになる。もったいないなと。1も2もそこは同じだから。

 

なぜ『ズートピア2』には神がいないのか?──『モアナ』『もののけ姫』と比べて見えた限界

 

動物が話すアニメで言うとジブリの『もののけ姫』やディズニーの『バンビ』があって、実はこの二つは似てる部分が多いんだけど、この2作は動物だけでなく"自然"や"人間(人間社会)"が大きなキーワードや物語の背景になってる。

 

『ズートピア2』の動物たちは「自然の理不尽さ」をもう克服しているし人間は存在しない。だから、動物たちだけで作劇するしかなく、味方も敵も動物しか作れない。"自然"も"神"もそこにはいない、存在しない。

 

『もののけ姫』のような「人間による自然の克服、神の討伐」を描くこともできず、『バンビ』のように「人間に迫害され大災害を逃れながら育む生命の尊さ」も描くことはできない。喋る動物たちで完結してる世界だからこその狭さ、奥行きのなさがある。『ズートピア2』の規模感はとても大きいのに。もったいない。

 

その『ズートピア2』のもったいなさを感じるのは、あの完璧な映画『モアナと伝説の海』を知っているからというのはある。『モアナ』は『もののけ姫』とはまた違う、理想的な、神秘的な「人間と神の共存(あるいは世界)」を描いた物語だから。そういう文脈で見ると、「動物だけの社会=ズートピア」は狭い、狭苦しい。

 

神のいない世界で、動物は本当に自由か

 

「ズートピア」の世界にはおそらく神はいない。したがって信仰もない。意識的に"神"も"信仰"も排除している。キリスト教圏の映画でありながら「神と信仰の排除」というのは正解でもあるだろうが、卑怯にも映る。動物に人間性を与えながらも「家畜に神はいないッ!!」(『ファイナルファンタジータクティクス(FFT)』からの引用)と言っているようなダブルスタンダード。

 

 

「ズートピア」の動物たち=人間的動物に神も信仰も与えない、許さないというのは、制作者たちの人間目線での傲慢さが見え隠れする。神は社会があれば自ずと生まれるものであり、信仰は一人格の自由であり当然の権利だ。神への信仰も畏怖もない、そんな社会は薄っぺらい作り物だ。

 

おわりに - 気づきの出発点として

と、こういう風に強めの言葉で批判はしたが「ズートピア」は好きだ。

でも、もったいなさと人間の傲慢さを感じずにはいられない。

好きだからこそ期待をし、深読みをしてしまう。

私の意見に賛同しなくても全く構わないが、「神の不在」「神の排除」といった点などを足がかりに、改めて作品を見直して気づきを得てもらえたら嬉しい。

あと、「神」など以外にも「ズートピア」の世界には意図的に排除されている要素がいろいろあると思うので、それを探し、そこから思索してみるのもいいと思う。

 

【ズートピア関連記事】

 

【参考記事】

FFTの名台詞「家畜に神はいない」をメタ的に解釈してみる──アルガスが暴いたラムザの神性|関健斗(作曲/指揮)