東日本大震災(3.11)から約7年半年後の石巻市や大川小学校の写真
18年8月の上旬頃、宮城県の石巻周辺に旅行に行ってきました。
宮城県自体生まれて初めて行きましたが、それ以上に3.11の震災後に初めて来た、という意味合いを強く感じます。
この記事では震災後の石巻市内や大きな被害にあった大川小学校、日和山公園から見た風景の写真などを掲載しています。
目次
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震災後の石巻市内の写真
石巻市内の写真です。
言われなければ気づきにくいですが、実はあちらこちらに空き地や駐車場があります。
おそらくほんとどが元は家屋やビルなどの建物があった土地です。
被災者のための仮設住宅です。
今ではもうほとんど住んでいる人はいないようです。
ただ、石巻市内を車で走っているとほかの場所でも仮設住宅をよく見かけます。
まったく使わないのはもったいないような気がします。
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震災後の大川小学校の写真
東日本大震災で児童74人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校です。
今でも震災後に近い形で津波で損壊した建物が残されています。
あえてこの形で学校を残しているんだと思います。
石巻で震災後のダメージを肉眼で確認できるのはここくらいじゃないかと思います。
悲惨な場所ですが、自分の目で確認できるという意味があります。
大川小学校は海抜1メートルの場所にあります。
すぐ近くを流れる北上川です。
天使の像の横に置かれた石碑。
「海抜1メートル12セ(ンチ?)」という文字が刻まれています。
この日はボランティアの方々がたくさん来ていました。
草むしりや芝刈り、花の手入れなどをしていました。
この中庭は普段は入れないかもしれません。
この日はボランティアの人が来ているからか入ることができました。
建物内は立ち入り禁止です。
平成7年の卒業制作。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
(「農民芸術概論綱要」宮沢賢治)
裏山にある津波到達地点の看板。
津波が迫っている頃、児童たちはこの裏山ではなく北上川の方にある交差点を目指していたそうです。
被災後の石巻市の港の写真
こういった広々とした場所にも震災前はいろいろな建物が建っていたのだと思います。
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日和山公園から見た震災後の石巻
石巻駅近くにある日和山公園です。
小高い場所に見晴らし台があり、石巻駅方面や海の方面を見渡すことができます。
震災前の写真。
震災前の写真。
真ん中に写っている白くて丸い建物は石ノ森萬画館です。
震災前の写真。
日本製紙石巻工場の煙突から白い煙がモクモクと出ていました。
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