バルトが「おもちゃ」について述べている。そこから、印象に残ったものを抜粋しておく。
フランスのおもちゃぐらいフランスの大人が「子供」をどんなふうに見ているかを教えてくれるよい例はない。
「軍隊」、「ラジオ」、「郵便」、「医学」(医者の鞄のミニチュア、人形用の手術室)、「学校」、「美容」(ドライヤー)、「航空」(パラシュート隊員)、「交通」(汽車、シトロエン、ヴデット、ベスパ、ガソリンスタンド)、科学(火星人の玩具)。
木材は親しみのある、詩的な材質で、それのおかげで子供は、樹木やテーブルや床とずっと接触した状態でいられる。
おもちゃの本質は結局のところ「金」である。*1
彼のファッションにおける「モード」についての論文も、この「子供の歴史のために」の様に、記号論とか社会学的なもので興味深かった。「モード」の方こそ、初めて読んでいる最中から、文字に著したいと思っていたのだが、情報量が多すぎることや取捨選択が難しいので断念した。バルト自身の言葉ではないかもしれないが、「20後にはミニスカートが流行り、そのまた20年後にはロングスカートが流行る。また20年後には・・・」といった主旨の言葉が強く印象に残っている。
「おもちゃ」を考えているうちに湧いてきた(以前から時々考えていた)、子供世界への疑問を二つばかり記しておく。
まず、子供が読むための、絵本や他の目に触れるものに登場する大人たちの職業というのは、ブルジョアジーとプロレタリアートで二分したときの、プロレタリアートに属する者たちが多い、ということ。お巡りさん、車掌さん、運転手さん、消防士さん、郵便屋さん、魚屋さん、お肉やさん、など。
次に、ヨーロッパの子供たちは王様になろうとするが、日本人の子供たちは天皇になろうとしないということ。私の幼少期の幽かな記憶によると、西洋風の絵本などの作品には子供たちが王を目指すものと描かれているものが、いくつかあるように思える。対して、日本人の子供が天皇になりたがるとか、実際になる話などというものは聞いたことがない。
バルトの時代の子供世界と、現代の子供世界とがどれほど違っているのか。それが良い方へと向かっているのかが気になる。
演劇のエクリチュール―1955-1957 (ロラン・バルト著作集 2)
- 作者: ロラン・バルト,大野多加志
- 出版社/メーカー: みすず書房
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