目次
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- 地続きなの、地続きじゃないの?エンドア大学
- なぜか英語が読めない
- エンドア大学の目的が謎
- 『ハリー・ポッター』における現実と異界の地続き感
- エンドア大学以外の社会が見えない
- 魔法学校は一つの映画では描ききれない題材
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『メアリと魔女の花』を見ていてジブリ以外で思い出す作品といえば『ハリー・ポッター』シリーズだ。
といっても『ハリー・ポッター』は原作を4巻くらいまで読んだだけで映画も3作目くらいまでしか見ていないけど。
地続きなの、地続きじゃないの?エンドア大学
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メアリが魔法のほうきで異界に飛んでいって、エンドア大学に着くわけだけど、メアリが住んでいる世界(赤い館村)と繋がっている世界なんだろうか?
赤い館村とエンドア大学が同じ世界にあるのか、異世界にあるのか、その辺りが設定的にふわふわしているように見えて不快だし雑だなーと残念におもう。
なぜか英語が読めない
メアリと教授たちで言葉が通じるのに、メモに書かれた英語は呪文を使わなければ読めないし、アルファベットを見たこともないような反応をマンブルチュークはしていた。
どういうことなんだ……。
赤毛の魔女もメアリもすんなり二つの世界を行き来していたけど。
ただ、二人とも「魔女の花(夜間飛行)」を使っていたから行き来できた、と解釈もできるが。
すると、今まで赤い館村側の世界から来た人間はいなくてメアリが初めてだったとか?
そんな歴史の浅い学校には見えないのだけど。
エンドア大学の目的が謎
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魔法使いを育成する、というのがエンドア大学の建前上の目的だろうか。
実際は、マンブルチュークとドクター・デイは「魔女の花」を使った変身究極魔法を成功させたかったようだけど。
どちらの目的にしてにも、魔法使いを育成する、変身究極魔法を成功させる、それで終わりなのか?という疑問が残る。
なんのために魔法使いを育成するのか、変身究極魔法を成功させたいのか、その先がなにもない。
だったら、世界を支配するためとか、赤い館村側の世界を支配するため、という目的があれば物語が分かりやすかったのに、とおもう。
『ハリー・ポッター』における現実と異界の地続き感
『ハリー・ポッター』の良いところは非魔法社会と魔法社会が地続きになっているところだ。
それを現実と異界(異世界)と言っていいのかはわからないけど。
世界というより、非魔法/魔法どちらも社会を感じさせるシリーズになっているのがすごい。
イギリスの実在の駅キングス・クロス駅の9番線と10番線の間の柵を通り抜けると「9と3/4番線」のホームがあり、そこにホグワーツ特急がある。
こういう、実際にホグワーツ魔法魔術学校に行けるんじゃないか、と子供に思わせるようなところも現実との繋がりを大切にしていて良い。
エンドア大学以外の社会が見えない
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エンドア大学は組織として大きそうな割りに、教授は校長を入れて二人しか出てこない。
エンドア大学自体が一つの社会といえるけど、言ってしまえば一つの空に浮かぶ島だ。
『天空の城ラピュタ』の空に浮かぶラピュタは一つの孤立した社会を形成していそうだったけど、あれとはまた違った世界の狭さがエンドア大学にはある。
『ハリー・ポッター』はホグワーツひとつの学校でも寮を4つに分けて、4つの世界があるような見せ方をしていた。
対して、エンドア大学はただの孤立した島としか描かれていない。
他にもいくつか学校があったりすればよかったのだけど、そうでもないので狭く見える。
魔法学校は一つの映画では描ききれない題材
『メアリと魔女の花』は出来不出来は別として、王道ファンタジーと言えるだろう。
『ハリー・ポッター』は現代の世界が混ざったファンタジーだけど近いか。
『ハリー・ポッター』は7冊の本で完結して、映画は8本作られた。
もし、魔法学校を題材として王道ファンタジーを作るなら一本の映画では描ききれないんじゃないのか、というのを今回の『メアリと魔女の花』で強く感じた。
エンドア大学自体は魔法学校として面白い舞台ではあったけど、一本のアニメで使いこなすのは難しい舞台でもあっただろう。