おととい『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』を見て、昨日『ヘイル、シーザー!』を見た。どちらもコーエン兄弟が監督で、なにをしたいのか、なにを観客に見せたいのか、自分には理解が難しかった。『ヘイル、シーザー!』に至ってはコメディ映画らしいけど1ミリも笑えず……。
でも、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』の主人公のダメ&クズ人間のフォークシンガーは嫌いになれない。歌もギターもうまいけど、誠実すぎるせいか売れないしお金ないし家もない。音楽をやめるか、漁師に戻るか迷ったりしてうじうじしている。別の彼氏がいる女性フォークシンガーを妊娠させちゃうし、どうしようもない。
仮にも映画の主人公なのに、こんなダメ人間なんているのか、と驚く。でも自分の場合は不快感よりも共感できてしまうところもあるな、と映画の余韻で思い直す。どうしようもないその日暮らしだけどなんとか生きていけるから、ちょっと羨ましくもある。猫も一緒だし。
夢と現実の間でフラフラしているのは『サイタマノラッパー』っぽくもある。こっちの一作目がきれいな終わり方をしていたのに対して『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』のオチているのかいないのかさえよくわからない結末は、意味不明。なんとなく猫の名前からの安易な連想と、連環的な物語にジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』っぽさを感じる。
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まあでも『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』みたいなオチはコーエン兄弟らしい気もするが。初見で『ノーカントリー』の結末を見た時にはポカーンとしてしまった。「あれ、これで終わり?終わっていいのかな?」というような。今ではあのエンディングの意味深さが好きなんだけど。
映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』予告編
予告編はいいんだけどねー。本編の終盤にはベンジャミン・パイクという人が演じている若い時のボブ・ディランがちょこっと出てくる。
主演のオスカー・アイザックの歌もギターも俳優としてはかなりうまいんだけど、そもそも曲がそんないいとおもえないので響いてこない。音楽映画として致命的。しかも最後にボブ・ディランの影を出してきてしまう。同じ土俵で勝てるわけがない。