- 作者: 小林泰三
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1999/04
- メディア: 文庫
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悪夢みたいな怪奇小説。第一作品集。「玩具修理者」は怪奇でありながらファンタジーかマジックリアリズム小説のよう。「酔歩する男」はSFでありながら自己存在への懐疑にまで至ってしまい、敢えて名付ければ「ヒューマン・ホラー」。デビュー作でありながらも、二編とも少しずつジャンルが違うが独特の恐怖と不安感をひしひしと与えてくる。小説で言う「ホラー」というのがよくわからないのだが、「酔歩する男」の終盤は実にホラーだった。自意識の脆さに怯えるとなると何に怯えているのかもうわからない。無限に続く螺旋階段を歩くようで。
(「読書メーター」に書いた感想より。http://book.akahoshitakuya.com/cmt/37371761)
SFとかホラーを書いている小林泰三さんのデビュー作『玩具修理者』を読んだがこれは凄かった。これは怪奇小説という感じで、この人のものに限らず普段読まないのだけど、SFとミステリーにも近くてなかなか味わい深いものであった。「角川ホラー文庫」として出ているが、「ホラー」という感じではなくて敢えて言えばやはり「怪奇」。とりあえず小林泰三さんのだけでも怪奇系を読み漁っていきたいが。
短編「玩具修理者」は怪奇小説でありミステリーっぽさもあるのだが、どこか文学っぽさもあって不思議だった。しかしやはり、この物語は仕掛けやオチのために書かれているため、純粋に文学の方へは傾かないんだけど。恐怖が度を超えてシュールな笑いに変わる感じなど安部公房に近いのだが。
安部公房の場合、前提にあるのがシュールな笑いであって、恐怖というのは後から来るような気もするが。『砂の女』なんかは、もやもやとした掴むことも逃げることもできない恐怖みたいな読後感があったような。
安部公房でもオチや仕掛けが凝っているものもある。が、やっぱりだいたいの短編でも長編でも途中からオチに向かった物語というのを放棄し、作者でも物語がどこへ向かっているのか判らなくなり、物語内世界のルールが変化しながら進むので世界までもが変わっていってしまうとか、そういうイメージ。さいきん読んだこともあり、新潮文庫の短編集『無関係な死・時の崖』が強い印象付けとなっている。
着想や書き始めの段階では仕掛けやオチを用意しているのかもしれないけど、書いている最中にそれに拘らず、着想段階の設定は始発点でしかなく、その始発点からどういう終着点とその過程が生まれるか、それが重要視されているのかもしれない。安部公房の場合。
その無設計的な手法ゆえに前衛的だったり実験的と思わせる小説が出来上がっているのかもしれない。真似するには勇気がいるように思えるが、物語の暴走はそれはそれで価値があるんだろう。
しかし、そうやって書かれた物に読者が付いていくのは大変で、読者に媚びず悪く言えばひとりよがりしまくってるのが文学または純文学なんだろう。その点、小林泰三さんは丁寧にわかり易くオチに向かってくれるのだが、「酔歩する男」で言えばSF的考察が難しくてぼくなんかは付いていけないのだが。
小林泰三さんは「クトゥルフ神話」の影響を強く受けているらしい。『玩具修理者』ではたしかにそれが顕著だった。安部公房においてクトゥルフ神話は無関係に思えるが、意外と親和性が高いような気がしてきた。
安部公房と小林泰三。お二人はSFや怪奇じみたものを書いているという点で共通している。だが、純文学と一般文芸という別々のカテゴリーにいる。とはいえ、集合した二つの円の共通部分は意外と大きい。そんなことが言えるんじゃないだろうか。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1974/05/28
- メディア: 文庫
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以上は2014年4月21日のツイートを修正、追記したものです。
http://twilog.org/sibafu_gokyo/date-140421
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安部公房の『壁』から発想した妄想による散文。