伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』を読んでいたらいろいろ書けそうなことがあったので、ツイッターでつぶやこうとしたがメモ帳にまとめていったら、結構長くなってしまった。それなので、メモレベルのものだがここに書き残しておくことにする。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』はまだ全てを見終わっていないので、いつかもうちょっと改めて、温めてこのアニメについては書けたらいいなと思っている。
■ 『コードギアス』ではルルーシュがゼロに変装するが、その時仮面は被るが声は変えない。声が普段と同じなのだから身内の者が気づかないはずがなく、とても漫画的で滑稽だ。しかしルルーシュとは声ではバレない。でも、扇というキャラクタ―がゼロに変装すると恋人関係の女性に勘付かれる。
■ この不思議演出を擁護するなら、ルルーシュの「身体性の欠如」が演出上の意味としてあるんじゃないかと考える。ルルーシュの変装したゼロがリアルなキャラクターではなく、より抽象的なキャラとして演出されているので声で気付かれないし物語の構造に守られ無敵なキャラになる。
■ いわゆる「主人公補正」のようなものにも思える。これは主人公が誰で、誰が最終的に勝つかという分かり易さにつながる。誰が勝つかはわかっていても、主人公がボロ負けして大逆転する紆余曲折は楽しかったりする。ルルーシュ/ゼロの「身体性の欠如」はそういった演出上の意味があるのかもしれない。
■ 大塚英志さんが『アトムの命題』で「記号的身体」と書いたのを伊藤剛さんが『テヅカ・イズ・デッド』で引用して説明し直している部分を読んでいて『コードギアス』の「身体性の欠如」を考えた。そこで伊藤さんが扱う手塚治虫の『地底国の怪人』という漫画には人間に変装したりするウサギが出てくる。
■ 「身体性の欠如」はそのまま「記号的身体」と言ってもいいのかもしれない。また伊藤さんの言う「プロトキャラクター性」というのも同じなのかもしれないが、これはまだ理解できていない。ルルーシュ/ゼロはより記号的に主人公として扱われているので身体性を欠いていると考えられる。
■ 大塚英志さんの『アトムの命題―手塚治虫と戦後まんがの主題』はこの前読んで、今は伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド―ひらかれたマンガ表現論へ』を読み途中(返すまでに読み終わらない…)。これは二つ合わせて読むとお互いの本の面白さや理解度が倍増しそうに思える。他の漫画批評本などもきっと。
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