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臓器提供意思カード

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  今日、「臓器提供意思カード」に記入をしました。私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。この正義の執行は、私が死ぬまで猶予されます。




  自分が死んだあと、自分のことなどどうでもいい。だが、(例えばデカルトの「我思う、ゆえに我あり」のような)独我論的に世界がどうなってもいいとは思わないし、自らの死が人間を一人救えるならそれに越したことはない。人間もその社会も嫌いだが、人間の個々を怨んでいるわけではない。他人の善意によって生かされた人は、そうでない人に比べて善良な生き物になると信じている。


  誰かが、死神が、いま殺しに来てくれるのならば、喜んで死んでみせよう。それが訪れなければ、地球を人間から救うという(あ、目の前で、キーボードの「9」のキーの上で、蚊が蚊取り線香によってパタパタとパタリと転がった。)努力なき野望を抱いたまま、ずるずると砂上にとぐろを巻きながら生きていくまでだ。


  私が死ぬと、人に恩に着せることになるのか。私は他人から恩義を受けることが厭だ。相互扶助が成り立たない恩を蒙るのは避けたい。恩を返す義務を感じることが厭だ。だが、どうやら自分から他人に恩に着せることが好きだときた。他の人が私みたいに、現代の社会に反映してひねくりかえった性格の持ち主でないことを祈っていよう。


  「臓器提供意思カード」のパンフレットに記載がなかったのだが、自分が臓器提供を受けることを拒否する、という意志を表明するためにはどうすればいいかとか、このカードに記入して所持していると自動的に臓器提供を受けることの受諾になるのか、が分からない。提供される側の場合は、本人が意識があることが多いだろうから、臓器が必要となった時にその意思を伝えればいいのか。痛いのも苦しいのも厭だけれども、人から最大級の恩義を受けて生きていくのはなるべく避けたい。


  パンフレットによると「日本で臓器の移植希望登録をしている人はおよそ1万3千人います。しかし、臓器の提供が少なく、数多くに方が移植を待ちながら亡くなられています」だそうだ。


  「日本で事故や病気で亡くなる方は毎年およそ110万人です。その1%弱の方が脳死になって亡くなると推定されています。自分が最後を迎えたとき、誰かの命を救うことができます」。