インスタグラムのアカウント持ってないけど、ベッカムの息子のBrooklyn Beckhamのインスタの写真なかなかいいな。若者たちのポートレイトがかなり様になってる。写真家志望らしい。
まぁしかし、いつになってもインスタグラムは好きになれないが。どこまでもインスタントだよねっていう。正方形の写真は写真だろうけど写真なのか?それで満足はしたくないしすべきじゃないな、と思うところ。
インスタグラムが凄いのは誰でもそれっぽい写真にできるってことだろうけど、それ凄いんだけど、マヤカシだよなーとどうしても思ってしまう。写真を万人に広げているって見方もできるし、賞賛できる面もあるけど、やっぱり写真を殺してるところがあるわけだな。
自分は写真撮るの好きだけど、万人が写真を撮ればいいわけじゃない。みんなが良い写真ばっか撮ってたらムカつくってのももちろんある。でも本質はきっとそこじゃない。良い写真見せびらかしてドヤッてのも写真の醍醐味ではあるだろうけど、きっとそこだけじゃない。
出来上がった写真だけが写真なんじゃない、と思うところ。身体と世界の接し方みたいなものがある。気づきとか。自分の身体の外界との接し方がわかってきたり、一層わからなくなったりする。そこを掴む楽しみも写真なんじゃないかと思うところ。
こだわりがなければ写真は撮れないし、理想が自分の中になければ写真は撮れない。こだわりも理想もない写真が手に入っても、それは自分にとっては出汁のない味噌汁状態だな。一生で一枚で満足ならそれいいだろけど、理想に近いものを何枚も撮れたほうが良いに決まってる。それが難しいんだし。
インスタグラムはこだわりを持つことも理想を持つことも殺してると思うね。こだわりも理想もない写真を作業員に量産させてるって点で害悪なんじゃないかと。粗悪品ばかり見させられるのはいい気分しないので。
とは言っても、インスタグラムは自分としては意外で、そこに入ったこともないので実感もないのだけどSNSとしての機能も強いようだ。そう考えると、インスタグラムの写真はコミュニケーションツールとしての性質が強く、人間と人間を繋ぐ道具でもあるのだろう。
音楽で言えばカラオケみたいな立ち位置だろうか。コミュニケーションツールではあろうけど、それで写真撮ったつもりになってるのはやっぱり違うよなー、とは思う。