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円城塔の『エピローグ』と筒井康隆の『モナドの領域』の類似点

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エピローグ

エピローグ

モナドの領域

モナドの領域




※ネタばれあり




  円城塔『エピローグ』を読み始めたけど、読んでいると筒井康隆モナドの領域』を思い出さずにはいられない。筒井康隆は実際に小説を書くにあたって円城塔からけっこう影響を受けているんじゃないだろうか。


  『エピローグ』はまだ第二章しか読んでいない感想だけど。プロローグと第一章はロボットとかAIとか別宇宙とかのバリバリのSFでありこじらせたSF、という感じ。第二章からなぜか殺人事件の話になる。ここが問題だ。トイレの中に残された女性のものらしき腕と足。それが別の宇宙か時間軸から来たかのような痕跡に見える。


  『モナドの領域』も序盤は、河原で見つかった女性の片腕が事件になり警察官の捜査とかも作中にあり、ミステリー小説風になっている。その女性の片腕も別宇宙から来たかのように不自然で、平行宇宙の存在を思わせる。パラレルワールドとも言える。


  円城塔の『エピローグ』は『SFマガジン』で2014年4月号から2015年6月号まで連載。同年9月に書籍化。


  筒井康隆の『モナドの領域』は『新潮』2015年10月号に掲載された長編で同年12月に書籍化。


  また、『文學界』2015年2月号に筒井康隆佐々木敦の対談が掲載されていてタイトルは「あなたは今、筒井康隆の文章を読んでいる。」。この元になったトークイベント「メタフィクションの極意と掟、そしてパラフィクションの誕生?」は2014年9月末に行われている。その中で、円城塔の名前も出てきて、筒井康隆はパラフィクション(定義がいまいちわからないが)の書き手としてけっこう褒めていた気がする。だから、筒井康隆円城塔を読んでいる、と考えていいとおもう。



  パクったパクられたという低次元な話にはしたくなくて、パクるという程内容も近くないのだけど。影響源という話で言うと、『エピローグ』が世に出始めた2014年2月末(『SFマガジン』2014年4月号の発売時期)と筒井康隆佐々木敦のトークイベントのあった同年9月末を時間関係で見ると約8カ月の空間があるのだから、筒井康隆が『SFマガジン』で直接円城塔の『エピローグ』を読んでいてもおかしくない。


  しかし、円城塔メタフィクション癖やパラフィクション癖というのは今に始まったことではない。過去の作品でもそういう世界は小説で扱っていたと思うし、別にそういう小説世界が円城塔だけの技ではない。とは言っても、SF誌と純文学系文芸誌で殺人事件を扱いミステリー風な話にし、なおかつどちらもバラバラ殺人事件という共通点もあるのだから、偶然とは思えない。


  仮に筒井康隆が『エピローグ』をこの今現在でも読んでいないとしたら、それこそ面白い。でも、それは偶然とは思えない。パラフィクション世界の小説を創るにあたって、「宇宙を越えたバラバラ殺人事件」は一つの到達あるいは通過する点として、宇宙が始まる前から決定していたような事項に思えるからだ。だから、面白い。だから、この二作品の類似は怒ったりなじるよりも楽しみたい。


  また、メタフィクションにしてもパラフィクションにしても、フィクションという形式とか構造とかそれを読む読者をおちょくるようなジャンルだ、ということを考慮したらいいかもしれない。つまり、筒井康隆はわざと、『エピローグ』に似せた。そう考えるのも面白い。宇宙は繋がっていたり、平行に並んでいたり、連続していたり、するかもしれない。頭がそう私に考えさせる。




「『 創作の〝掟〟を打ち破る力』——筒井康隆インタビュー」
https://cakes.mu/posts/7763


  こちらのインタビューで佐々木敦の著書『あなたは今、この文章を読んでいる。』や円城塔についても話題に出ている。

  佐々木さんはその小説を読むたびに、読者に新たな物語が生成される。そうしたプログラムが内包された小説をパラフィクションと呼ぼうと提唱しています。
  どういうものかというと、メタフィクションが作者がその物語を書いていることを作中で暴露することで、“作者の存在を意識させる”のに対し、パラフィクションでは、読者がその物語をいま読んでいることを指摘することで、“読者が当事者であることを意識させる”ということです。


  ちなみに、『エピローグ』とほぼ同時期に『文學界』で連載していた円城塔『プロローグ』という私小説(?)も11月末に書籍化されていて、両方一緒に買ってきた。二つのタイトルから察してはいたが、内容が部分的に繋がっている。


  『プロローグ』は連載時に毎回読んでいてとても面白かった。私小説とも言えるけど、フィクションでもあり、『エピローグ』に登場する人物の命名というか作成法が書いてあったりして制作秘話みたいな内容にもなっていて、意味が分からない。その意味のわからなさがたまに知的な可笑しみを滲みだしていて、凄くよかった。


プロローグ

プロローグ




■追記(2015.12.13)
  上の文章を書いた直後に、同じようなことを考えている人いるのかなと思いググってみたところ、当の佐々木敦さんが同じようなことを9月末にツイートしていて笑ってしまった。