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藤沢周 「物狂」 - 飽食の認知症系介護小説

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三田文学 2015年 05 月号 [雑誌]

三田文学 2015年 05 月号 [雑誌]


  発売日だったので藤沢周さんの新刊『界』を買ってきた。けど、『三田文学』(2015年春季号)の藤沢さんの「物狂(ものぐるい)」を読む。金麦と藤沢文学が流し込まれて身体にどんどん滲んでいく。


  なんでこうもハードボイルドなのか。ただの現代の情けない情景だろうに。文章にスタイルがあるのだろうけど。なんでこうもハードボイルド風か、と。

  「マンションになったり、駐車場になったり、コンビニエンスストアになったり……。べりべりと剥ぎ、均し、更地になって、まったく見慣れぬものが建つ。一昔前の風景など分からなくなる。いや、昨日が分からなくなる。」(藤沢周「物狂」)


  記憶にある故郷新潟の姿と、目の前の時を経た新潟の風景の描写。過去に取り残されている気分であり、夢から覚めたみたいに気づくと街並みも自分も経年している。街と自分と今昔の区別が曖昧になっていく。「いや、昨日が分からなくなる」、ここ、凄く藤沢周で、凄くハードボイルド。




  以上は昨晩ツイッターに書いたものをちょっといじったもの。


  「物狂」をぜんぶ読んだ。藤沢周さんらしくて、そして凄く好みだった。でも、それは一つの作品という限定された中での話で、昨今の大げさに言えば文壇の流れの中で読むと、疑問が残るところ。


  というのも、「物狂」は介護小説というジャンルに括れるものだからだ。


  一年ほど『文學界』を続けて読んでいて、三つくらいの介護小説を読んだ気がする。


  思い出せるのは、第152回芥川賞候補になった小谷野敦さんの「ヌエのいた家」と、第119回文學界新人賞受賞作の板垣真任さんの「トレイス」。


  また、「物狂」、「ヌエのいた家」、「トレイス」に共通するのは介護小説という大きな括りとともに、それを細分化したジャンルで言うと認知症小説、まとめて言えば認知症系介護小説ということ。


  こうして、短い間に続けて同じものを読めば当然飽きがくるというものだ。近年、高齢化社会が問題視されフィクションに限らずノンフィクションの本も話題になったりして単純に流行ではあるのだろうけど、そろそろほんとうに飽きてきてうんざりするところもある。


  そうは言うものの、認知症という現象は身の回りの人は大変である一方で、傍からすれば小説でもそうだし人の興味として惹かれるものがあるのだとおもう。


  趣向は違うけどさきほど挙げた内の「物狂」と「ヌエのいた家」は好きな小説だ。うまく認知症を作り物の世界に織り交ぜて書かれていると思える。藤沢周さんの持ち味の幻想性も、認知症によっていつもとはまた違った方向でその異世界性が強まっていて良い。




  介護小説というジャンルはあるのだろうが、先に挙げた三作品はどれも認知症系であり寝たきり系ではない、というのもすこし疑問が残るところ。別に寝たきり系介護小説を読みたいわけではないが、たまたま読んだ小説が偏っていたのか、どうして認知症系ばかり書かれるのか、など。


  寝たきり小説というのを想像すると、どうもしめっぽい展開が浮かんできてすこし苦手かもしれない。別の趣向で考えてみると、一部屋のみ、もっと言えばベッドの上でだけで『ソウ』的な展開のシチュエーションスリラーもありかもしれない……。


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