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藤沢周 『武曲』 - 殺し合い生かし合う剣道

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  藤沢周さんの『武曲(むこく)』

  単行本で読んでいたけど、文庫になり装丁も一新されていて良い機会なので再読。初出は『文學界』での連載。


  猛烈に剣道をやりたくなる。やれないまでも、YouTubeで剣道の試合の動画を探してしまう。剣道小説として青春エンタメでありスポ根でもあるが、武道として根底にある仏教や禅の世界が藤沢周の文学らしく非常に濃くじっとりと覆っていて、この二面性の見事なバランスによって藤沢作品としても小説全体としても稀な傑作になっている。

  木刀を握って「真剣」勝負をするなんて剣道馬鹿を通り越している異常な二人であって剣道世界なのだが、世界観に引き込まれて共感さえできる。竹刀を握ったことがあるくらいで剣道をやったこともないのに、いや、だからこそか。引き込まれてしまう。


  ただ、羽田融(とおる)が矢田部研吾の父親と同じ殺気を持っているというのは疑問を覚える。

  羽田融は自身の独白では特に、ラップ好きで傍若無人なキャラとして見えるようになっている。しかし、本当のところの印象としては母親は過保護気味で融自身もマザコンの傾向があり、父親は全く登場しないまでも一般的な中流かそれ以上の家庭で育った高校生、というものだ。だから、融がルールや枠を突き破る性質を持つとしても、終盤の昇段試験での試合で、一本取った後にも相手の喉元に剣先を突き付けるという無茶な行動の理由付けが弱いように思える。そこまでして勝負も殺し合いも求める必要性が融にあるのか。

  矢田部研吾と融の木刀での殺し合いはその無茶な行動以上に、筆運びによる演出が勝っていたろうから引き込まれて違和感を覚える人は少ないかもしれないが、こちらにしたってリアリズムとはほど遠く、こういう行動はすべてこの作品のマンガ的な要素になっているように思える。

  とは言え、そういうマンガ的な無茶苦茶な行動も、作品全体を藤沢さんらしくそして文学らしくしつこい書き込みが覆っているので、絶妙なバランス取れているのだろう。中村文則さんが解説で書いたように「豊饒な言葉の世界」によって。


  先にも書いたけれど、羽田融の殺気には理解できないところがある。

  しかし、藤沢作品では幻想あるいは妄想シーンというのが多用されていて、この『武曲』ではその特徴は薄まっているが、矢田部研吾はアル中であって特に物語後半は俗世から離れた仏教世界に入り込んでいる節がある。だから、研吾が感じる融を通して感じ取る父親の殺気や影、また融の試合での度が過ぎた「殺し合い」の剣道というのはすべて研吾の妄想や現実の錯誤である可能性がある。研吾の妄想だとすれば、融の不可解な度が過ぎた殺気というのは現実にはないものとして納得できるのだけれど。

  と言うか、そうでも無理に解釈しないと終盤の試合での融の行動は不可解で、ちょっと無理な展開と言わざるを得ない。


  いろいろ書いてみて時間を置いてみて思うのが、矢田部研吾が作家自身に近いキャラクターであるのに対して、羽田融は仮想敵として作られたキャラクターだ、ということ。純文学としての矢田部研吾であり、マンガとしての羽田融。研吾は作家自身でもあるから素直な言動をするのだが、融は作られた人物であるから物語に動かされるそして物語を動かす。物語を動かす融に対して、研吾は常に受け身で物語に巻き込まれていくだけになる。

  二極化して言えばそういうことになるだろう。融は作家の理想であって妄想から生まれた、という印象。見事な筆運びによって二つの世界の繋ぎ目は隠されているが、実は分離している世界であって、とは言っても、その分離していた世界が最後には一つになるから、または別の世界へと行くから読者は気持ちがいいのだろう。

  剣道世界を未知なる土地に見立てれば、実は王道の冒険ものみたいな構造を見ることもできるんじゃないか、とおもうところ。


  文庫版は単行本とはまったくちがったカバーになっている。マンガ風でさえあって意外。でも、帯の裏には「ラブ&ピース!国の為ではなく俺の為♪」とコピーが入っていることからも分かるように、単行本刊行時とは打って変わってキャッチ―な路線で売っていく方向にシフトしたんだろう。


  いつもの作風とは全く違うけど、これはこれでいいとおもう。なにより、カバーの防具を身に付けた人物の顔から上が見切れているのがすごく好き。融でもあり、研吾の父でもあり、あるいは匿名的な己が対する敵としての象徴のような存在に見える。

  藤沢周さんとも剣道とも関係性がわからずあまり期待していなかってけど、中村文則さんの解説もよかった。


武曲(むこく)

武曲(むこく)


  4月24日に文藝春秋から藤沢周さんの『界』という新刊が出るので楽しみ。『文學界』で連載していた連作短編集。


界

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