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又吉直樹さんのデビュー中編小説「火花」について

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文學界 2015年 2月号 (文学界)

文學界 2015年 2月号 (文学界)


  気づけばここ一年ほど、毎月『文學界』を購読している。もはや日々の習慣の一部になってしまっている。藤沢周さんの連作はおわってしまったようだが、円城塔さんの連載「プロローグ」が毎月の楽しみになっている。


  それで、2015年2月号に掲載された又吉直樹さんのデビュー中編小説の影響で『文學界』は売り切れて増刷までして、先日ようやく手に入ったのでした。


  そして、「火花」読んだ。


  あらすじとしては、20代のお笑い芸人が主人公で少し年上の同じくお笑い芸人と出会い、師弟関係になり何年も時間が経ち、その間に売れたり売れなかったりという紆余曲折がある、というもの。20代以降の話だが、青春お笑い小説と呼べるかもしれない。


  ストーリーとしては何の面白みもないものだ。まぁ、それだけなら全然問題ないのだが。しかし、文体やら描写の仕方にしても、たまにお笑いらしくフフッと笑えるところがあるだけで、文学的でもないしエンタメと言えるほどに軽快なものではない。


  改行がやたらと少なく文字で埋め尽くされた誌面。気張って生真面目に書いているのだが、その文章のほとんどがただの文字でしかなく読む意味があまり感じられない。又吉さんやお笑いが好きなら、お笑いについてのポリシーやボケとツッコミのやりとりに意味があるのだろうけれど、それ以外の人間にとってはそれらは何にもなりはしない。


  死に体の『文學界』を増刷までさせたその話題性と、この中身のなさの落差に驚くばかりだ。


  「火花」はただつまらないだけでなく、ジャンルの立ち位置として中途半端でもある。もっと純文学っぽく書いてもよかったし、開き直ってエンタメに徹してもよかったのではないかとおもう。バランスが良いとは言えず、どっちつかずになっている。


  又吉ファンは「又吉直樹が書いた小説」を読めればよかっただけかもしれないので、内容なんてあってないものかもしれないけれど。しかし、これが売れてしまったというのは呆れてしまう。ツイッターでは絶賛している人を目にするが、どこかがおかしいんじゃないのかと思ってしまう。


火花

火花

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)






  以下愚痴的蛇足。


  売れている本には面白いものもつまらないものある。それは当然なのだが、つまらないのに売れているというのは一種の宗教現象のように見えてしまう。人々の本への信仰が数字になって表れている、と思える。


  売れているのにつまらない本があるということは、もはやそれは文字を読まなくていいし本を開く必要さえない。内容の良し悪しなど関係なく、売る側は売れればハッピーだし読む側は「売れていて楽しいものを読んでいる私」という体験を得られればそれでハッピーなのだから、本を読む必要などない。本を開く必要もなく、ただ買えばいいだけだから読むという手間が省けてみんながもっとハッピーだ。


  本は極端に評価すれば良し悪しがあるはずだが、実際に読むまではそれは箱の中の猫の「シュレディンガーの猫」状態であるわけで、読まなければ本当は生死は不明だ。でも、事実に関わらず全て良いのだと判断しゾンビ猫となった本を絶賛すれば売る方も読者もハッピーなのだから丸く収まるのだ。


  そういうリビングデッドの本というのはゾンビ猫とも言うことができる奇妙なモンスターで、売れる本にもかかわらず良し悪しがあるという現実が示すように、人が本を読んでいようがいまいが、この世界にゾンビ猫は徘徊している。そして、ゾンビ猫は信仰がなければ生きられないのだから、ここは地獄だ。


  嘘を嘘と思わずハッピーに生きるのは胡散臭いのだが、地獄な現実を真正面から見詰めつつ生きるのはそれはそれで腐っていきそうなもので、だからバランスよく生きるべきなのだろうけれど、ゾンビ猫への信仰はアホじゃないかとつくづく思うのだった。