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『Gのレコンギスタ』

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  『ガンダム Gのレコンギスタ』、第6話「強敵、デレンセン!」を観た。おもしろかった。モビルスーツ同士の戦いが熱くもあり、悲しくもある。


  深夜アニメを観る本数自体がそんなに多くないし、リアルタイムで観るものとなるともっと少なくなる。そんな少ないアニメのなかでだが、『Gのレコンギスタ』はここ数年のなかで最も毎週楽しみにしているアニメだ。


  アニメ自体もそうだし、物語やキャラクターの言動の解釈や2ちゃんねるで見るリアルタイムの感想など、そういう環境も含めて楽しみであり新鮮。そして、富野由悠季監督にとって少なくともテレビアニメとしては遺作となる可能性もあり、その貴重さを噛みしめる意味でも『Gのレコンギスタ』には自分にとって価値がある。


  第6話で少年ベルリは知らなかったとは言え教官であったデレンセンを殺してしまったわけで。だが、直後に大気圏へと自由落下していくクリムを救った。しかも、デレンセンとの戦いで得たエネルギーがなければクリムの救出は成し得ず、ベルリもクリムも二人とも大気圏へ落下していっただろう。実験的に装備したリフレクターによりデレンセンが撃ったビームを吸収し、それが自分もクリムも救うことになった。


  この命の消失と救出というバランスは、ドラマとして物凄くうまいと思った。ただ知り合いを殺し、初めて人を自分の手で殺すことに自覚するだけでなく、なり行きだが同じ機械で、装備で、モビルスーツで人の命を救えることを体験する。


  また、戦闘後に人をあやめたという事実からベッドに寝転がり現実逃避しようと葛藤しているベルリに、空気の読めない能天気なラライヤがチュチュミ(金魚)を持って遊びにくる。そんな気分ではないのに。それで、もう思い出となってしまった人の思い出を思い出し、現実あるいは自分が歩いていくべき未来に戻される。


  この現実逃避しようとするベルリのシーンは、ただラライヤによってデレンセンを思い出してしまう、というだけではなくてもっと抽象的に(構造的に)捉えることもできるだろう。それは人と人の行き違いだ。キャピタル側であるベルリが海賊(アメリア軍)側にいることでもあるし、救出しに来た少年とわからずその対象の乗ったモビルスーツを攻撃することでもあるし、教官と知らずビームライフルで焼き切ってしまうことでもある。また、ぼくたちの日常にもそういう行き違いはごろごろと転がっている。他人は、世界は、自分の気分など読んではくれない。ただ、ライフルから放たれたビームみたいに向こうからやってくるだけだ。くよくよしていても相手はそんなことを気にしない。ビームを撃たれれば避けるとか、あるいは受ける覚悟をするしかないし、あるいはくよくよする前に撃たれないように未来を操作するべきなのだろう。


  『∀ガンダム』もかなり好きなアニメだが、遥かに期待の上をいく『Gのレコンギスタ』は『∀ガンダム』に並ぶアニメになるかもしれない。比べることは不可能なのだが。なぜなら、架空世界の歴史の順序としては逆だが、『Gのレコンギスタ』は『∀ガンダム』の上に成り立っているのだから。そして、その『∀ガンダム』の前には様々ないくつもの過去の「ガンダム」があり、一番始めには『機動戦士ガンダム』がある。


  「ガンダム」というシリーズはそういうものだ。「ガンダム」という歴史。「ガンダム」の新作が登場する毎に「ガンダム」シリーズは濃くなっていき、その限りを知らない。歴史を知っている視聴者にとっては、『Gのレコンギスタ』は未知のものであり未知のものではない。友人の成長した子供を見る気分かもしれない。既視感もあれば未視感もある。ぼくたちの中で「ガンダム」の歴史はどんどん濃くなっていく。どんどんぼくたちの頭の中で「ガンダム」と「ガンダム」が繋がっていく。


  『Gのレコンギスタ』、これからも楽しみだ。




ガンダム Gのレコンギスタ ED Full 「Gundam: G no Reconguista」 Gの閃光