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sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画などについて書こうかなとおもっています。

Zoo

雑記
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Zooという動物の鳴き声を考えていた



zoo
ozoo
ezoo
aozoo
benzoo
dzoo
zerozoo
animalzoo
ozoo
gzoo
izoo
bigzoo
doubzoo
logicalzoo



アメリカの動物園はZoo
そこにZooという動物がいるかと思っていたが
ゾウはいたけどZooはいなかった



Zooという動物さえいる気がした
でも考えてみれば動物園という動物はいないだろう
すくなくともぼくは見たことがない
でも見たことがないだけでアマゾンの奥地にはいるかもしれない



多摩動物園にはたまたまたまさんという名前のお婆さんなんかが
来ていてたまさんがいるから多摩動物園だとその時には納得できそうだ
上野動物園なんかは一日にどれだけの来場者がいるかは知らないけど
百人とか千人とかもっとか
それだけいれば上野さんは何十人もいてもおかしくない
そしたらゾウなんて数頭しかいないのだから上野さんの方が多い
だから象動物園でなくて上野動物園なのだと納得できる



アメリカの動物園にもZooさんという人が来ていれば納得できそうだ
でもZooさんという名前の人は聞いたことがない
知り合いに外国人はほぼいないしハリウッド映画とかドラマ
くらいでしか判断できないけれど、Zooさんは知らない
だって日本でだって動物園太郎さんとか動物園幸彦さんとか
そんな人見たことないのだからなあ



「熱帯林の世界」というシリーズで刊行されている本が好きでよく読んでいる
そこには今まで見たことも聞いたこともない動物がたくさん登場する
でも、そこには今まで見たことも聞いたとともある普通の動物もたくさん登場する
いったい、知らない動物と知っている動物という区別はなんなのだろうか
それは考えてみると生活している環境にいるかどうかということと、
もう一つは動物園にいるかいないか、
という違いに大きな原因があるのだとおもう
でも、動物園という名前なくらいだから知らない動物はいない、
というのは変じゃないのか
まるで動物園にいない動物は動物でないみたいだ



「熱帯林の世界」にはオカピカピバラやウーパールーパーも出てきた
でも、ぼくはこの三種類の動物を知っている
なぜならテレビや本などでその動物がキャラクターであるみたいに
扱われて、ある意味可愛がられているからだろう
それ以外に具体的には思い出せないのだけれど
知らない動物はいろいろと出てくる
例えばダイカーがそうだ
トラのタイガーではなくて、ダイカーだ
ダイカーはウシ科で、見た目は体毛のない羊に馬を混ぜたみたいな感じだ
もしかしたらぼくが無知なだけかもしれないけれど、今まで知らなかったし
日本の動物園にはいないんじゃないだろうか



べつに動物園を責める気はないのだ
ただZooという動物はやはりいる気がしてしまうのだ
その原因というのはたぶんわかっている
メソポタミア神話に登場するズーという怪物のせいだ
ZuあるいはAnzu(アンズー)
絵画などではライオンの頭を持つワシの姿で描かれがちだそうだ
鳥類の上半身と馬の下半身を持つグリフォン
ちょうど反対のような格好になるのかな
どちらも想像上の生き物だ
彼らは想像の中でしか生きられない
どうやらぼくの勘違いというか空想はこういうところから
出てきてしまっているようだ
Zooなんてものはいないのかもしれない
いや、べつにいなくてもなんの問題もないのだけれど
ぼくは宇宙人の存在を主張する人みたいに
意固地になっているわけではないのだし



よし、Zooはいない
そう一旦決めてしまっていいだろう
何もぼくが決めつけて世界が変わるわけでもないのだし
そんな世界を変える権利も力もないわけだけど



ただまぁ、Zooみたいな
動物園にいない動物という存在には夢があると思うのだ
見たことのない動物は見たいと思うでしょう
特別動物が好きなわけではないのに不思議にそうなのだ
それだけ、ぼくらは動物園という檻の外に興味があるのだと思う
もちろんぼくらは物理的に檻に入っているわけではない
でも、ぼくらの頭の中には檻があるのでしょう
それがZooと言うもので、そう言うべきなのかもしれない
Zooという檻はぼくらを守る家でもある
でも、家は檻でもありぼくらを縛りもする
だから、時にはZooの外に出て
空想のZooという動物でも見たいと夢想するのではないかな


水の国の歌 (熱帯林の世界)

水の国の歌 (熱帯林の世界)

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