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SFの国でのSFの日

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日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)




  昨日、京王線芦花公園駅で降りた。世田谷文学館で開催している「日本SF展・SFの国」という企画展に行くためだ。




「日本SF展・SFの国(2014年7月19日(土)〜9月28日(日))」




  中に入ると、なかなかの盛況ぶりだった。なんどかここには来ているが、今までで一番賑やかに見えた。見るからにオタクな大学生グループもいれば、おじさんおばさん、キャピキャピした10代の女の子、子連れの親子と、よくわからない客層だったが。


  そして、展示の内容もなかなかよかった。SFは好きなつもりだが、「日本のSF」と限定して考えてしかも古典的なものがメインとなると、あまり興味はないのであまり期待はしていなかったのだけれど……。でも、入ってみるとワクワクしてくるのだった。


  『SFマガジン』の歴代の表紙が飾られていたり、SF作家の原稿や手紙、マンガの原稿、ハヤカワ文庫や『SFマガジン』の表紙になったイラストの原画などなど。


  『ウルトラマンシリーズ』の「タロウ」か「エース」の隊員が身につけているヘルメットと銃の実物まであって、銃は特に握ってみたくなった。ガラスケースの中に置かれていたので当然無理なのだが。握ってみると、ほんとうに光線でもでそうな気分になる。




  最も印象的なのは、『SFマガジン』の表紙の原画だ。画家の方の名前は忘れてしまったが、確かに思わず見入ったのは創刊号のものだとおもう。何枚も最終稿に至るまでの作品があって、どうにか試行錯誤して「SF」らしい絵にしようという気持ちが伝わってくる。


  しかも、その絵には絵以外にも針金か糸みたいなものが貼り付けてあり、立体感を出している。原画を見てみるとどうも絵としては異物の存在が気になるのだが、実際の雑誌の表紙を見ると気づかないくらいのものになっている。


  展示されている他の絵にもそういうものがあった。確か真鍋博さんのものだった。絵と言っても、写真が切り貼りされていたりいろいろな紙が紙の上に貼られているものなど。


  そういった工夫は「SFらしさ」を表現するための工夫なのだろうか。ジャンル固有のものと言うと言い過ぎかもしれないが、ふつうの「絵」からは外れたものを目指す故の工夫に思える。


  絵画における立体感というのは、印刷物を見るだけでは気づきにくい。そう、なんどか展示を見ていくうちにわかった。油絵だって実物を見るとごつごつと固まった絵具が立体的なのだ。


  その立体感の極端な例でぼくが思い出すのは、2013年の「アメリカン・ポップ・アート展」で見た作品群だ。そこには平面的な絵ももちろんあったが、絵の上にラジオやら家具やらが飛び出すようにくっ付けてあるものがあった。あれは、絵画=平面、という固定観念を崩すために画期的なアイデアだろう。




  絵の方に話が偏ってしまったが、もちろんSF作家についても多く扱われている展示だった。いろいろと読みたくなった。星新一さんや筒井康隆さんなど。


  日本のではないが、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を自室の本の山から引っ張りだしてきた。映画『ブレードランナー』も観て、一度読んだ本だ。でも、展示で飾られていたイラストを見て、なんでこの「電気羊の夢」についての問いかけなんだ?という疑問が沸いてその答えがみつからなかった。だから、また読みたくなったのだ。


  そして、前に読んだ時に思った疑問も解決されず頭の中に淀んで漂っている。それは、アンドロイドはそんなに悪い奴らなのか?というものだ。作中では、どうもアンドロイド=悪という見方しかされていないように思えて、なんだか納得できなかった。


  この二つの疑問のどちらかでも、二度目の読書で見つかればいいものだが、どうだろう。




アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

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