- 作者: 藤沢周
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/08
- メディア: 単行本
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藤沢周さんの短編集『幻夢』を再読した。調べてみるとちょうど一年前の2012年11月に初めて読んでいた。
たまらず読み返したくなってちょくちょく読んでいたのだが、二度でも三度でも読む価値のある名短編集だと思い知らされた。これは藤沢さんの短編集の中でも際立って優れているが、これほどの幻想性と現実性のバランス、一篇一篇と一冊の本としてのまとまりの良さのある短編集は読みたくてもなかなかない。
藤沢さんの小説の語り手たちはよく妄想に駆られる。『箱崎ジャンクション』の主人公のタクシードライバーなど、次第に現実を妄想に支配されていき、その病んだ精神によって見える景色は現実というアスファルトをとろけたチョコレートに変貌させてゆく。「現実」と言いきってしまっても、しょせんは見る目によってその姿は変わるのだろう。
『幻夢』に収められた一篇「形代(かたしろ)」での、雨が降る街中での路上を流れる水を書いた場面。現実世界から回想へと視界が妄想の景色へ切り替わっていく音がクロスフェードするようなその描写は、実に映像的で「意識の流れ」を意識させる見事な筆致だ。一度目読んだ時におそらくこの凄さに全く気づいていなかったことで自分への危機感を覚えるが、二度目で気づけてよかった。
少し雨の勢いが弱まってきたような気がするが、歩道を流れる水の量は変わらない。ひしゃげた煙草のパッケージが流れてきて、次はローン会社のチラシ。透明のビニール袋も流れてきて、乱れた波紋が見えたかと思うと、フナが背鰭を覗かせて懸命に泳いでいて、くすんだ萱や葦の島が横切る。腹にガスを溜めた豚の死骸がゆっくりと漂い、染み汚れた白い布を纏いつかせた嬰児が、眼の前を音もなく過ぎさっていくのだ。
(『幻夢』、p.175)
以上に引用した文章では「乱れた波紋が見えたかと思うと」という文章が前後を接続している。前の文章が東京で現実に見えている景色であり、後ろの文章が伝聞で得た故郷である新潟の川での話を回想している景色だ。あまりにも自然にそこにあるはずのない景色Bを現実としてある景色Aの上にかぶせてくる。明らかにおかしい景色でありながら、粗く読んでいればさらりと読み流してしまいかねないほど、その筆運びは自然。これは凄いとおもう。
他の短編「袋」もやはり見事だし、剣道(あるいは武道)と文学との相性の良さなど、今回気づいて語りたいことはあるのだけれど、長くなりすぎるのでまたの機会に回しておきましょう。
藤沢周さんの『幻夢』。文学が好きならば手にとってみて損はしないでしょう。是非御一読を。
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