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sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画あるいはゲームの感想、攻略などについて書こうかなとおもっています。

綿矢りささんの『かわいそうだね?』について?

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かわいそうだね?

かわいそうだね?

  私の彼は元彼女と同棲中……週刊誌連載時から話題を呼んだ表題作と、女子同士の複雑な友情を描く「亜美ちゃんは美人」の2篇収録。

(「Amazon」、「内容紹介」より)




  綿矢りささんの『かわいそうだね?』を読んだので、その感想など。表題作「かわいそうだね?」は、2012年の第6回大江健三郎賞受賞作。




  「かわいそうだね?」も「亜美ちゃんは美人」も女の子女の子しすぎていて男のぼくには無理な本だった。この本になんの意義があるのか理解できないし、敢えて考えて理解したいという気持ちも起こらない。
  なんでこの人は数百円のスイーツみたいな小説を書いているんだろうか。なんでぼくはそれを読まなきゃいけないのか。すごく無駄なことをしているように感じて虚しかった。
  全体的に読み易い文体、レイアウトなのはいいところ。それでも読んでいられる内容じゃなかったのでだいぶ早送りしたけど。
(「読書メーター」、感想より。http://book.akahoshitakuya.com/cmt/21199035)


  『かわいそうだね?』みたいな本を真面目に読むのがもう今のぼくには馬鹿らしいのかもしれない。子供の見るようなアニメや『仮面ライダー』や『ウルトラマン』を真面目に観る方がだいぶ有益におもえてきている。






  エンタメ小説はキャラに感情移入させたほうが良い作品になりそうだけど、純文学作品はキャラに感情移入というより動物園の檻のなかの人間を観察しているような傾向があるように思える。だから純文学には犯罪者とかその予備軍とか不道徳者が多いんじゃないかな。それらに全部共感できてしまうのはマズイんだけど、だから感情移入が主な要素ではない、ということ。


  そう考えると綿矢リサさんの『かわいそうだね?』は全体的に読者に感情移入させる作りで媚びていると感じてしまう。エンタメ小説としてならそれが当然でそれでいいんだけど。そんなのはぼくは読みたくないわけで。


  「かわいそうだね?」では浮気される女が主人公になっているけれど、本来なら浮気するものが主人公であるべきで、不道徳を犯してそれでも本能がそうさせることに苦しんで葛藤するようなそういうほうが純文学っぽさがある。ぼくはそれの方が読みたかった。悪者を作って糾弾するだけって快楽主義的だし、純文学の作品としてだったらやることではないよね。アニメとかマンガならそれでいいんだけど。


  サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を考えると、主人公のホールデンはアウトサイダーで、そのはみ出した思想にぼくなんかは共感もするわけだけど、ぼくはあそこまで破滅的な言動はできないからすべてには共感できない。共感できる個所はあってもやっぱり距離がある。全てに共感させようとする小説は何かがちがう。


  もしかしたら自分も根源的にはそうなのかもしれないけど、度合いの問題として、自分と同じものを見つけて安心するっていう『かわいそうだね?』を評価している「自分」という枠に囲い込もうとする人みたいな、ぼくはそういう本の読み方も生き方もしたくない。


  夏目漱石の『こゝろ』の「先生」だって、親友に不義理をしてそれをその後の一生後悔して悩んで生きてる。不道徳者であるわけだ。語り手がそんな不道徳な自分を「先生」と崇めることもまた苦しみの一つだったはず。






  ただの恋愛小説としてなら、『かわいそうだね?』はまだ読めるものであるのかもしれない。でも、それなら専門の作家たちの作品のほうが何倍も面白そうな気がするのだけれど。10%くらい純文学色の混ざった恋愛小説だから、「人の心理を上手く書いている」というようなことを言ってわかった気持ちになったり、「そこらへんの恋愛小説とは違うんだぞ」と一本線を引くことができる。そういう上手い中間的な位置に綿矢りささんという作家はいるのかもしれないけれど。


  しかし、綿矢さんの文章を「上手い」とか言ったりその人自身の見た目を「可愛い」と言ったり書いているのを見てると、なんか違うよなー、この人たち、綿矢さんのことを遠まわしにバカにしてるのかな、と思ったりしてしまう。


  文章や顔を評価している人は、綿矢さんを一流の小説家として、一流のアイドルとして評価しているわけではない。新人のまだ駆け出しの小説家としては文章が上手い、とか、小説家としては(一般人ではもっと可愛い人がいるけど)見た目が可愛いとか。そういうふうにぼくには見えてしまって、それが本人にとっては「かわいそう」なことなんじゃないかと思ってしまうのだけど、どうだろう。


  綿矢さんはデビューから10年近く経ってるからとっくに新人作家ではないんだけど、まだ若いことから、成長を見守っているっていうスタンスでファンの読者は見ているのだとおもう。だから、文章上手くなったよな、とか上手いなーと言ってしまう。でも、こんなので文章上手いって言ってしまうのは、小説家にとって失礼なんじゃないかな。「読める程度の小説を書けている」という意味での「文章が上手い」とさえ読めてしまう。


  少なくともぼくは、『かわいそうだね?』は全体的に純文学作品として文章が上手いとはちっとも思わなかった。むしろ下手なほうだろう。でも、綿矢さんは純文学としても小説としても「上手く」書こうとはしていないように読めるからそれはそれで良いとおもうけど。だから、これが上手いっていうのは、つまりただ単に読み易いという意味での「上手い」だと解釈しておく。


  『かわいそうだね?』は確かに感情移入させることが上手い本ではあるかもしれない。でも、文章が上手いのはまた別の話で、これはそういう文章の上手さとかを売りにしている本ではないように思えるのだけど。とても読み易い文章で、その上手さはあるけど、そこを「文章が上手い」って褒めるのはなんか違うような。読み易い文章を書けるというのは、プロの小説家として当たり前のことなんじゃないのか?






  表題作「かわいそうだね?」は大江健三郎賞を受賞している。大江健三郎の本は読みたいと思いつつ読んだことないし、この賞のことも全然知らなくて他の受賞作も読んだことない。でも、勝手な大江健三郎のイメージからすると純文学作品として評価されたんだな、と思っていた。でも、これが純文学とはぼくとしては言い難い。純文学でもいいけど、それだとしたらすごくつまならいし拙い。9割方、エンタメの恋愛小説だとおもってるんだけど。


  受賞作としてどこらへんが評価されたのか気になる作品ではある。巷での評価も高いけど、ぼくには理解し難い。ぼくは感覚的に嫌悪している部分もあるから論理的に説明されても気持ちでは受け付けられないかもしれないけど。


  綿矢さんの本は『蹴りたい背中』と『かわいそうだね?』しか読んだことがない。『かわいそうだね?』を読んで、正直、この人はもうダメだなとおもった。でも、二冊で評価をすることは評価したと言えないとおもうので、他のものも読んでみたい気持ちはある。


  最後に割と共感できた「Amazon」のカスタマーレビューを載せておく。



76 人中、37人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
(星一つ) 何もない, 2011/11/6
By ゆか "ゆか"レビュー対象商品: かわいそうだね? (単行本)


ここまでテーマもなく、読んだあとに何も残らない作品は久しぶりだ。


登場人物は一人も好きになれず共感もしにくく、何が言いたいのかも分からない。
むしろ読んだあとにむかむかしてくる。何なんだこいつら?という感じ。
文章ははっきりいって普通以下。たくさん出してるならまだしも、何年かに一度出してる本でこれは異常。
読めないことはないが、文学作家が書く文章じゃねえだろ(笑)
前作まで句読点が異常に少なかったのを散々叩かれたためか今作はあるにはあったが、その句読点の打ちかたが下手でテンポが悪すぎ。さらに中途半端に入れたせいで、前までどうにかあった個性もなくなった。これじゃこの人の小説を読む意味がない。テーマもへったくれもない、よくある話でよくある登場人物の話(しかも全員性格悪い)を、下手な文章で読むだけなんだから。
とりあえずこの作家に期待をして、ハードカバーで買ってしまった自分を殴りつけたくなる本。

インストール (河出文庫)

インストール (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)




以上の文章は12年8月10日、12日のTwitterでの発言を編集、追記したものです。
http://twilog.org/sibafu_gokyo/date-120810
http://twilog.org/sibafu_gokyo/date-120812

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