sibafutukuri

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『乳と卵』の「ほんまのこと」

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  川上未映子さんの芥川賞受賞作『乳と卵』を読んだ。下の引用は「読書メーター」に書いた感想。

  表題作「乳と卵」について。そんなに面白いってわけではないけど、数少ない読んだことのある他の芥川賞受賞作の『ひとり日和』と『蹴りたい背中』の中では一番好きだ。最後のほうにドーンと波があるのが他二つと比べてまだマシなところ。登場人物が女性のみだから、男視点だと女性の集会を盗み見ているような非日常的な体験をさせられたのはよかった。


  性的なことを語っているわりには性描写が少なくおとなしいので、意外にも小学生高学年くらいの女の子のための性教育の教科書になるんじゃないかとおもった。子供に読ませた反応が気になる。

(http://book.akahoshitakuya.com/b/4163270108)


  ということで、読み終わってみるとまあまあ良い感覚だった。終盤までは淡々と進んでいき退屈なところもあるけれど、最後はしっかりと締めてくれたとおもう。終盤は見どころ。


  東京に住む語り手の女性と、その姉の巻子とその娘の緑子が登場する。物語はほぼこの女性三人で済んでしまい、男性は全くと言っていいほど登場しない。巻子は東京で豊胸手術をしようと考えているのだけれど、初潮を迎える頃の小学生の緑子はそれが納得できないようす。


  「乳と卵」というタイトルは読み終わってみると気づくのが、「乳」=豊胸手術、「卵」=生理の意味でストレートすぎるほどストレートなものだった。




  全体的に好きな話ではないけれど、一言だけとても印象的な言葉があってそれがずっと読み終わった今でも後を引いていて忘れられない。終盤の、涙を垂らす巻子を見ながら同じく泣きそうになり倒れそうになりながら緑子が「お母さん、ほんまのことを、ほんまのことゆうてや」と言うところの「ほんまのこと」という言葉。


  この「ほんまのこと」が、豊胸手術をする理由だとか父親を隠していることだとか、判然としてなくてざーっと読んだ今ではよくわからないのだけれど、本当のことを答えて欲しい緑子の気持ちを思うと切なくなる。


  そんでもって、その緑子の言葉を受けて巻子は「緑子、ほんまのことって、ほんまのことってね、みんなほんまのことってあると思うでしょ、でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで」と言う。


  巻子という水商売をやっていて豊胸手術という愚かなことをしようとしている、ズボラな女に正しいことを言われるというのはなんとなく気持ちの良いことではないんだけれど、でも、確かに「ほんまのこと」がないことだってあるのかもと思うのだった。(でも、大人っていうのは嘘を平気でつくからなぁ……。とうぜんぼくも。)


  でも、緑子たち子供というのは表に見えていること以外の別の「ほんまのこと」があると希望していて、それを逃げ場にもしているところがあるんじゃないか。


  美容室の前にあるあの赤、白、青のくるくる回ってるやつ。あれは地面から無限に生え出てきていててっぺんまで行くと消えていくとか。町にある郵便ポストの中は地下に繋がるパイプがあって、その地下は広大な郵便物集配所になっているとか。信号機の中には小さなおじさんがいるとか。この世界は鯨のお腹の中にあるものであって、ぼくらは鯨に食べられたままだとか。実は私はお母さんのお腹から生まれたのではなくて、川の橋の下で拾われたとか。


  そういう大人からすればくだらない幻想を子供は抱くけれど、それが「ほんまのこと」なんだろう。眼前に提示された一つの事実に向き合いたくないとき、負の働きとして幻想としての「ほんまのこと」を生み出す想像力と信じる能力が子供にはある。


  緑子はだから、何かしらの物語を巻子に期待していたのだけれど、実のところはわからないけれど巻子に関しては「ほんまのこと」はない、と断言されてしまう。


  緑子にとって「ほんまのこと」がないことだってある、と教えられたのは大人への成長だった。また、読んでいる自分として、子供っぽい幼い想像をすることへの大人からの否定とお叱りを受けているような気分になって、淋しくなった。


  大人にならなきゃならないのかあ、と心の中で溜め息をつくのだった。




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ヘヴン (講談社文庫)

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