音楽のオールナイトのイベントに、このあいだひさびさに行った。
ナイトイベントは久しぶりだったかな。
もともとたまに行くくらいだけれど。
最近は平日にふつうに働くという、規則正しい生活を送っていたり、
かかわる人間も同じようなな人が多いこともあって、
ライブハウスにいる人たちはだいぶ変なひとたちに見えて、
自分もなんだか変な人のようにおもえてきた。
自分はどちらの世界にいる人間なのかよくわからないような。
彼らは普段なにをして飯を食って生活しているか、とか。
音楽を考えるよりも、その場に集まってる自分や他人や集合について考えていた。
なんで夜中に集まって音楽をやったり聴いたりするんだ。
夕方からでいいじゃないか、とか。
例えば翌日仕事でも夜中にわざわざ疲れるようなことまでして音楽したいのか、とか。
なんで彼らはこんなにつまらなくてなんでも同じに聞こえる四つ打ちに、
こんなに楽しそうに揺れたり独我世界に浸って踊っているのか、とか。
彼らには四つのタイヤが付いた乗る自動車があればいいだけで、
それ以外の条件はなにも関係しないんじゃないか、とか。
なぜそこに自分は混ざらない混ざれないのか、とか。
なんで彼らは複数人のグループのようなものを形成して
イベントに参加しているのか、とか。
いろいろとくだらなくおもえたけれど、
でもそこで選択を切り捨てることはできず、疑問として保留されていく。
無秩序的な夜の空間に触れると、自分はどちらにいるべきなのか
広い意味で生活に照らし合わせて考えてしまうのだった。
二者択一とは限らなく選択肢ですらないのかもしれないけれど。
どっちつかずであることが、良いことにおもえず
掴まるところがないようで心もとないという気持ちにつながる。
音楽のイベントは形だけで中身が置き去りにされているようなところがあって
自分自身も形だけつくろって中身はついてきていないのかもしれない。
「中身」というものが幻想とも言えるんだろう。
中身が幻想で出来ていてつまり空っぽだというならば、
マネキンが歩いていても不思議ではない。