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『ジキル博士とハイド氏』を初読

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  R.L.スティーヴンスンの有名な『ジキル博士とハイド氏』(ジキルとハイド)を読んだ。卒論のためでもなく、勉強のためでもないただ気まぐれに図書館で借りてしまったがために、積み本の消化のために勢いで読み終えた。といってもこれは中編小説で、本編が120ページくらいしかないのだけれども。たしか新城カズマさんの『物語工学論』で少し扱われていたので、興味があったのだとおもう。


  これは面白かった。1885年に発表された作品なので古典のうちに入るものなのだとおもう。だから、率直に楽しい読物ではない。テクスト内に広がる物語が面白いというよりは、それに伴って広がる想像が面白いという印象だ。


  『ジキル博士とハイド氏』は、『インセプション』や『メメント』の監督のクリストファー・ノーランのような人の作風で映画化するととても面白いのではないかとおもう。『メメント』を代表して言えば、これは観客の目を騙すという意味で「詐欺映画」と言えるんじゃないか。「詐欺的映画」でも構わないけれども。『メメント』のオチとか詳しいところは忘れたが、観る者を欺く映画だったと記憶している。


  『ジキル博士とハイド氏』もサスペンスとかミステリーな要素があるので、詐欺的だ。実際に、物語のなかでジキル博士は周囲のひとびとを騙している。そして、読者もオチを知らない限り一緒に騙される。


  これをノーランが『メメント』のような演出で映画にすれば、すごい映画になるんじゃないかと想像した。文書から映像に上手く起こすのはそれは難しいだろうが。マーク・フォスター監督の『ステイ』や、『インセプション』、『メメント』みたいな夢と現実が曖昧に演出すれば、この物語はオチを知っているほとんどの人でも楽しめる映画になりそうに思える。すごく観てみたい…。




  今回は岩波文庫版(『ジーキル博士とハイド氏』、海保眞夫訳)で読んだ。訳者による「あとがき」を読んで、夏目漱石がスティーヴンスンの作品の批評をよくしていたことを知った。そして、漱石はスティーヴンスンの文体を高く評価しているらしい。そこでは『彼岸過迄』の「実際スチーヴンソンという人は辻待ちの馬車を見てさえ、其処に一種のロマンスを見出す。」という一文が引用されている。


  この一文は『彼岸過迄』を読んでいて目にした気がする。でも、この「スチーヴンスン」が誰だかはたぶんわかっていなかった。それが『ジキル博士とハイド氏』の作者で『宝島』の作者でもあるR.L.スティーヴンスンのことだったのだと、さっき分かった。




Memento Trailer


ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)