sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画あるいはゲームの感想、攻略などについて書こうかなとおもっています。

空席の図書館

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早めに授業が終わり、
図書館に行く。
閉館時間ギリギリでも
あるから少し焦りの
気持ちがある。
でも、一方では
絶対に必要な資料を
探すために来たわけでは
ないので
いつもよりゆったりとした
気分でもあった。



これは、
時間に余裕があるときの
レコード屋や本屋で
ぶらぶらとあまり
目的はなく
物色したりしている時間、
それに近い。
図書館でのそういう時間は
実はひさびさだったかも
しれない。
最近は少し前よりも
来る頻度が減った
というのもあるだろうが。
来るとしても
義務的動機が強い。



でも、昨日はそうでは
なかったわけで
居心地がよくもあった。
昨日は、月曜日分の
振り替え授業日だった。
そのせいなのか、
レポート提出ラッシュ期
だったり
テスト前にもかかわらず
人がかなり少なかった。
まぁでも、九時は
過ぎていたからな。



人が少ない図書館が
好きだ。
昨日は、館内で知り合いに
誰にも会わなかったし
無数にある座席には
チラホラとしか
学生が座っていない状態。
どこの席だって
誰に遠慮するでもなく
ほぼ自由席だ。
広い本の空間に
自分と
あと少数の人で
占有している、
その優越感と
開放感。
すばらしい。



探しているものが
ないわけではなかった。
だが、それは
義務的なものではなく
ほぼ趣味的なもの。
ロラン・バルト
テクスト。
近頃はバルトの
テクスト漬けだった
わけだが、
読んだことがある
ものを資料として
なんども読むみたいな
ものだったので、
新鮮なテクストを
欲していた。
何度も引用されている
のを目にした
「書くは自動詞か」
という論文を探す。
結果は、見つからない。
でも、次来た時にでも
また探せばいい。
それくらいの気分で
館内をほっついたり
たまにパソコンで
情報を探ったり
していた。



考えてみれば
この頃の図書館に
来る時は、いつも
焦り過ぎなんだ。
授業前とかによく
来るものだから、
しかもギリギリで、
焦らずには
いられないのだが。
それが悪い。
もうちょっと
ゆったりとすれば
いいのに。



「書くは自動詞か」
を探しつつも
フランス文学の書架を
じっくりと物色し眺め
となりの
アメリカ文学の書架を
ざーっとブラウジングする
そうすると、
どんな本でも、どの本も
読みたくなってしまう。
この場合は、
タイトルから推測できる
本の内容よりも
著者の名前から
その人がどのような
文章を書いているか
それに興味がわく。
ジョルジュ・バタイユとか
ルネ・ジラールとか
ジェラール・ジュネット
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
などなど。



いろいろと本を借りるのは
貸出規定数と
持ち帰れる分量という
規定の上では
自由だけれども、
そんなにいっぱい借りても
読み切れるわけがなく
結局、何も得ることはない。
とはいえ、
そういう探究心のような
意欲が湧いてくる瞬間
そういうのは好きだ。
レコード屋でも本屋でも
知識欲が湧いてくる
ことがある。
そういう時間が貴重だ。



フランス文学の書架では
ロラン・バルト
『批評の真実』を
アメリカ文学の書架では
ロバート・スコールズ
『テクストの
読み方と教え方』を
手に取った。
結局、きょう借りたのは
この二冊だ。
スコールズの本の方を
見つけたのはかなり
偶然だった。
べつに
探していなかったのだし。



本の背のタイトルの部分、
そこの「テクスト」が
目に入り、
次に、著者名と訳者名が
目に入る。
でも、どちらもほとんど
図書館のバーコードに
隠れてしまっていて
見えない。
折島正司さんが訳者
だったわけだが、
見えたのは
「折島正」だけで
右には
「R・ス」とだけ
しか見えなかった。
でも、「折島正」の
字面は、どこかで
見たようなそんな
気がした。
その人の関係する
本を読んだのか。
いや、むしろ
パソコンで名前を
打ちこんだ記憶がある。
それが正解だった。



キャサリン・ベルジー
という人の
『1冊でわかる
ポスト構造主義』が
折島正司さんの訳
だった。
二日前くらいに
パソコンで打ち込んだ
名前だった。
もしかしたら、
スコールズだから
スコールズの文学講義

  • テクストの

構造分析にむけて』
の方かと思ったが、
これはちがった。



この借りた二冊は
期間内に読み切れるか、
あまり自身がない。
でも、こういうものを
いまは読んでいたい。
完全に趣味的選出では
ないわけだが。
勉強にもなる
という点で、読みたい本。



気づけば、
図書館に来てから
30分以上経っていた。
さすがに、そろそろ
閉館しそうな雰囲気だった。
人は本当に少ない。
従業員の方が多いのでは
という気さえした。
あの、巨大な本の空間に。
本は、無数にあるのだが。



そして、
頭上から音楽が流れ出す。
安っぽくて
インチキな
アンビエント・ミュージック、
すなわち
ヒーリング・ミュージック
のようなものだ。
厳粛なこの場での
穏やかな警告の
音。
退場を促す
音。



館の外に出る。
外はいまも暗く
肌に刺すような寒さ。
駅までの道のり。
あぁ、でも
(「でも?」)
あの空間、場というのは
とてもいいな、
と思い返す。
もう何年も、
あの図書館を
頻繁に使うことはなくなる。
それがとても惜しい。
図書館というのは
もしかしたら学生にとって
だけかもしれないが
貴重な場であるし
物としても
時間の限りにしても
大切にすべきところ
なのだろう。




■追記
バルトの
「書くは自動詞か」
だが、
ネットで検索しても
ヒットせず。
そんな論文ないのか?
まぁ、いい。
記憶間違いの可能性が
大いにあるので。
バルトの
『テクストの快楽』を
読みたい。

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