sibafutukuri

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デクノボウ

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  新潮文庫の『注文の多い料理店』(童話集)のいくつかの作品をざっと読んで、天沢退二郎の「収録作品について」も読む。その後、宮沢賢治の年譜もざっと眺める。童話を書きだす時期や、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の刊行年を確認するために。ついでに詩集の『心象スケッチ 春と修羅』も1924年の同じ年に刊行されたと知る。賢治、その時27歳。


  その流れで、年譜の最後まで進んで行く。最後の年。昭和八年(1933年)、ここでこの年譜は終わっている。賢治の死は知っているし、それははるか以前に終わったことだが、以下の文を読むことでまざまざとその死がこっちに迫ってきた。




  「九月二十日、病状悪化。短歌二首(絶詠)を書く。夜七時頃農民の肥料相談に一時間ほど応じる。翌二十一日、容態急変、喀血(かっけつ)。国訳法華経一千部を印刷して知己(ちき)に配布するよう遺言して午後一時半死亡」(『注文の多い料理店』(新潮社) より)




  眼前にあるスピーカーからはPCに取り込んだばかり(取り込んだばかりだから)のaMのアルバム“Belong to the Galaxy”が、騒がしく急き立てるような音響を発している。そんななか、この最後の年譜を読んで、目頭が熱くなり鼻の奥のほうではツーンとする久々な痛みを感じるのだった。


  これは俺の考える文学ではない。しかし、これは人生なのだろう。太宰治の生きざまもとても興味深い。それと同じくらい、宮沢賢治の生きざまも面白い。好きだ。彼らの人生が好きだ。短命の人生が魅力的と言ってしまえば、それは無粋な表現だが、それでも彼らの作品が魅力的なことに変わりはない。


  あー、要するに感動だ。


  でも、筆はすすまず。


I've God Them by aM[aem]