sibafutukuri

音響系音楽、文学、アニメ、映画あるいはゲームの感想、攻略などについて書こうかなとおもっています。

なにもない日は『ペスト』の日

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  今日は外に出る用事があったが、その用事はなくした。外に出たくなかったのかなんなのかはわからないが。とにかくダメ野郎だ。ついでに、さほど自分をダメ野郎だと思っていないところが一層ダメ野郎だ。どうだろうか。


  かくして本日は、なにもしなくていいわけではないがどこへも行かなくていい日になった。なにもない日。すばらしい。そりゃあもちろん、やるべきことは山ほどある。誰でもそうだろうし、自分も例外ではなくそうだ。しかしながら、今日はやらない。なにもやらないでいたい。いや、ちょっとはやろうかな。まぁ、いまのところは何もやっていない。つまり義務的なことをさ。年末と忙しかった時期のあいだだからやる気の喪失なんだ。


  昨晩寝た時間は遅かったのに、やたらと早く起きてしまった。しかも今日は自由の日だと、起きてから言われた。急にボールが来るとどうすればいいか分からないように、急に自由を言い渡されても困るものだ。どうしてだか分からないが、掃除や整理とまでいかない程度だが、積まれた本や本棚の中身をガサゴソと動かしていたりした。


  あ、思い出した。まず、ヘミングウェイ短編集の三巻に入っている二つの話を読んだのだ。それで、その文庫本を本棚にしまうために、ヘミングウェイヘミングウェイ遠藤周作遠藤周作で、というように揃えて入れようとおもってガサゴソとしていたのだった。


  実は、整理をするという体裁をとりながらも、暇だから今日読む本を探していたのかもしれない。そして、私は文庫本の山からそれを見つけた。それというのは、今日読む本のことだ。そういう探していたものというのは、目につくとキラキラ輝いているように見えるものだ。何だって、誰だってそうだろう。駅前の待ち合わせ場所で、群衆のなかに佇む恋人の姿もきっとそう映るに違いない。それで、私は文庫の山から今日の恋人を見つけたというわけだ。


  『ペスト』、アルベール・カミュ著。この本はガサゴソしていた当時の私には輝いて見えたし、実際に外見が真新しいという意味でも輝いていた。オンボロで黒ずんでいるような文庫が集まる中で、この本はなぜだか珍しく新品にほとんど近いものだった。たぶん最近買ったものだ。今年の夏ごろだろう。女の子と高円寺に遊びに行った時に、中古の本屋で買ったものだと推測する。いくらで買ったかはわからないが、こんなに新品に近いものを中古で買ってきた私は偉い。ボロボロか新しいか、というのは読むにあたってそこまで重要ではないが、古典作品の場合、外見が新しいものはだいたい版も新しいものだから、読み易くて良い。この『ペスト』は平成16年に刷られたものだそうだし、中の文字が大きめで印刷がハッキリしていてとても見易くて良い。


  この『ペスト』を手に取った時、今思えば多少無謀に思えるが、これを一日で読み切ろうと決断をしてしまったのだ。しかし「解説」なども入れればp480近くあるこの本はちょっと私にはヘビーだ。なんて勝手な決断をしたんだと、彼をうらみたくなる。まぁでも、半分くらいならなんとかなるだろうと今でも思うのだけれども。


  しかし、ひさびさに退屈なのだった。小説でなければいくらでも退屈な文章というのは近頃でも読んでいるのだが、小説で退屈な作品を読み続けるという体験は久々に思える。そして、それは数年前を思い出して少し懐かしい。決してつまらないわけではないのだが。『ペスト』は文学作品らしく、アクションやサスペンス性に欠けて、まわりくどかったり象徴が常に含意されているような表現が多い文章で構成されているように、すくなくともp60ほど読んでみておもえる。私はその文学らしいものが元々好みではあるけれども、この読書の苦痛を久々に体験すると、学生時代の体育の授業やクラブ活動でのマラソン(ランニング)を思い出すのだった。


  文学の読書はマラソンに似ている。読んでいる最中、走っている最中はどちらもほとんどが苦痛だ。しかし、まれに快楽の瞬間もあったと記憶している。文学においてもマラソンにおいても、その快楽は久しく味わっていないから忘れかけているが、文学で言えばロラン・バルトの言う「テクストの快楽」のようなものを得る時があるはずだ。私は究極的には、その「快楽」を得るために文学を読んでいる、と言えるかもしれない。


  『ペスト』でその「快楽」を味わうことは不可能かもしれないが、ともかく全部読んでみて損はないだろうという、どこかにそう思わせる保証があるから読み続けられている。マラソンも、最後まで止まらないで限界のレベルで走り終えて損はないだろうと思えるから走り切れるのだ。『ペスト』の場合その保証は、単純に「名作」だからということだろう。名作は、私のような知識に乏しい現代人が読んでも、名作だからと言って必ずしも面白いとは限らない。しかも一度目の読書で。それがエンターテイメントの面白さとしてでも文学の面白さとしてでも、どちらも感じられないことだってある。それでも、名作は読んでおいて損は無い。


  なぜかといえば、「『ペスト』読んだことあるよ!」と他人に一種の自慢を出来る以外に、例えば文学論や批評文で名作はいろんなところで引用されたり例えとして出てくるからだ。作品のあらすじとか登場人物のことを知っているだけでも、その論の理解に役立つし、誰かが言ったことを知っていることはそれだけで嬉しい。…なんでこんな言い訳みたいなことを書いているかよくわからなくなったので、ここらでこの話題はやめる。


  でも、ついでに書いておくとする。ドストエフスキーの『罪と罰』はいまでも崇められているように思えるけど、めちゃくちゃつまらなかった。好きなエピソードもあったが。なんであんなのが文学作品として名作に名を連ねているのか理解し難い。キリスト教か聖書かなんかに通じていれば解釈がいろいろと変わってくるようなのだが、『エヴァ』みたいなものなのだろうか。『罪と罰』はライトノベルみたいなものだった。でも、おなじくドストエフスキーの『地下室の手記』は根暗すぎるほど根暗で、それがとっても好きだった。『カラマーゾフの兄弟』は読んだことがない。もうあまりドストエフスキーの作品は読みたくない。『罪と罰』は悪い意味で衝撃だった。




  最近はレコードで音楽を聴くことも触れることもご無沙汰だったから、慣れるためにずっとレコードで音楽を聴く。eluvium、bolaなど。特にIsanをよく聴いている。いまもIsanIsanは特に思い入れはないけれども、空気みたいなエレクトロニカで居心地が良い音響だ。そしてコーヒーをすすりながら、『ペスト』を読み進める。これは今日中に読み終わらなくても構わないのだが、なるべく先まで進んでおきたい。


Isan - Betty's Lament

isan - cinnabar

ペスト (新潮文庫)

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