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なにをしながらなにをし、なにをしているか

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  する。考える。男は考える。男は鼻毛を抜きながら考える。毛を抜きながら、音楽を聴く。抜きながら安藤裕子を聴きながら、本を読む。抜きながら、安藤裕子を聴きながら、寝ながら学べる構造主義を拾い読む。すなわち、鼻毛を毛抜きで抜きながら、安藤裕子の隣人に光が差すときを聴きながら、寝ながら学べる構造主義を拾い読む。


  鼻毛を抜く刺激は涙を流させ、鼻水をあふれさせる。そもそも、なぜ鼻毛を抜こうと思ったのか。抜く必要があったのか。すくなくとも、いま、それはあったのか。必要が、いま、あったのか。なかった。そう言って間違いないだろう。が、それは男によって行われた。行動により、二つの体液があふれ出ることになる。それは、原初の刺激とともなって考えようによっては快感であるのだ。男はつまり涙している。次いで、鼻水している。それは何に因ってか。隣人に光が差したからか。隣人に光が差したときにか。安藤裕子の隣人に光が差したときを聴いたからか。毛を抜きながら構造主義を学んでいたからか。そこはいまミシェル・フーコーの性の歴史から、ロラン・バルトの零度の記号へとトピックが移ろうとしてるところだ。なにをしながらなにをし、なにをしているか。


  男は、チューハイをすすりながら、鼻毛を抜きながら、携帯電話のことを忘れて思い出した頃にチェックをしながら、ブラウザを展開させそれもチェックしながら、YouTubeを開き安藤裕子からB.Fleischmannという音響までを再生させながら、空気を吸い、構造主義を学びながら、肺から吐き、作者と記号と言語を思いながら、結局これはなにをしていると言えるのか。なにかをしながらなにかをするというよりかは、なにかをしていてなにもしていない。夜更かしをなにかをしていながらなにもしていないで過ごす。


B Fleischmann - As if

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