「働かないという選択肢があってもいい」 "リア充ニート"phaが考える社会とのかかわり方
http://www.cyzo.com/2010/08/post_5304.html
mixiの「このニュースに関する日記」を30件ほど読んでみたが、予想に反してこのphaさんの考え方に肯定的な記事が多い。基本的にmixiという場の性質上、アカウントがあるから否定的な意見をわざわざ書くことが少ないというのはあるが。それに加えて、ここはネットであって、だからニートやフリーターや精神疾患者などが多く集まるということもあるとおもう。
それで思うのが、ネットに依存していたり長くやっている人と、まったくネットに触れなかったりそんなに依存していない人の二者は、同じ日本人でもやはりだいぶちがった、あるいは正反対の、考えを持っているといことだ。
働く能力がある人は働いて、働けない人はphaさんのように暮らせばいいのではないか、という思いから「働かないという選択肢があってもいい」という主張は頭ごなしに否定できない。彼の言う「植物的」な「満足感」に共感出来て働かなくても生きていけるのならば、働く必要はないのではないか。
これから、日本の労働に対しての意識が、こういう人の存在によって変わっていくのかもしれないと思わせる記事だ。
ところで、この記事の見出しに「 "リア充ニート"」とあるけれども、この人は2ちゃんねるなどのネットで使われている意味での「リア充」とはまた異なる。phaさん自身が実世界で植物的満足感があり充実していると思って居れば、それは「リア充」と呼べるが、普段煽りの意味も込めて使われている「リア充」の充実度の度合いと比べれば、「植物的」と表現されているように、とても低いことがわかる。
でも、結果的に彼はネットを通してリアルでも植物的に充実しているわけだ。自分でも書いていて混乱してきたが、つまり何を言いたいかというと、簡潔に二元論的にリアルとネットを二極化することは表現上ふさわしくない、ということだ。
彼は「ネト充」であり、「リア充」であるともいえる。ということは、単に「充実した生活を送っているニート」というだけなのでは?「充実ニート」?
とまぁ考えていると、なんだか『東のエデン』というアニメを思い出しますね。そう考えると、このphaさんは板津(パンツ)にしか思えなくなってきた。でも…板津はもっと野心家だったからやっぱり違うかな。
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