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宮沢賢治作 「犬」 四、連ごとの分析

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四、連ごとの分析


※作品自体は連分けがされていないが、独自の連分けをして分析している。




■第一連(l.1~l.7 「なぜ吠える〜吠えるのだ」)


  「わたくし」は犬が自分に向かって吠えることを疑問におもっている。二匹の犬が吠えつつ「わたくし」のほうへ駆けてくる状況が表現されている。参考文献1aは「(l.1,2)なぜ吠えるのだ 二疋とも/吠えてこつちへかけてくる」の部分は、第二連の「(l.8)その薄明の二疋の犬」と「(l.15)犬は薄明に溶解する」と対応している、と説明している。
  「(l.4)頭を下げることは犬の常套だ」というのは、犬は頭を上げているよりも地面のなにかの匂いを嗅いでいたりすることで、頭を下げていることの方が多いということか。「(l.5)尾をふることはこわくない」というのは、次の行で「(l.6)それだのに」と逆接が用いられていることから、犬がしっぽを振る=好意を示している、という賢治の理解によるものと推測する。
  この連で書かれていることが、過去の記憶によるものか詩の制作時期の体験かは不明瞭だが、どちらにしても賢治の実体験が描かれているように思える。また「(l.3)(夜明けのひのきは心象のそら)」という行は、所蔵本によって自筆手入れがしてあり、賢治の心境に揺れがあることが窺える。




■第二連(l.8~l.16 「その薄明〜エレキもある」)


  先に登場した二匹の犬に、「その薄明の」と修飾が施される。それによって星座や天文的印象が現われる。この詩のなかでは「大犬(座)」や「シリウス」というような明確な星座に関する名称は出てこないが、参考文献1bにあるように詩の制作時期には「薄明の東天におおいぬ座こいぬ座が見えている」ことや「二疋の犬」と明示されていることから、星座をヒントにしていると推察できる。ただし、二匹の犬のそれぞれは「灰色錫」(銀色)と「茶」であることが、おおいぬ座α星シリウスが薄青い光であり、こいぬ座α星プロキオンが白い光を放っていることとは相違しているので、実体験と織り混ぜられている部分でもあると考えられる。
  「(l.13)それは犬の中の狼のキメラがこわいのと」という文での、「犬」と「キメラ」の関係は、『新宮沢賢治語彙辞典』の「キメラ」の項にあるような「(キメラという語は) 賢治の場合は彼の仏教的転生観や進化論の認識とも結びついており」という星座と全く関係しない解釈も可能である。しかし、また一方では、少々深読みのし過ぎに思えなくもないが、参考文献1bの「『賢治の眼前の風景』→『おおいぬ座(こいぬ座)』→『シリウス(大犬の眼→天狼星)』→『キメラ』」という星座からの発想を加えた一連の流れから理解することも可能である。概してこの連は、抽象的な表現などから実体験と夜空の天体がまぜこぜになっているような印象を受け、視点が地と天を行ったり来たりするような動的な部分でもある。




■第三連(l.17~l.24 「いつもあるくのに〜吠え出したのだ」)


  犬が吠えることを、「(l.23,24)帽子があんまり大きくて/あんまり下を向いてあるいてきた」ため、と説明している。忠告をするのを「誰か」と条件付けをしているものの、賢治が犬嫌いであことが本当であり恐怖を抱いていたとすれば、「ちゃんと顔をみせてやれ」という力強い二度の反復は、それを克服するために賢治自身に言い聞かせているようにも思える。
  また、参考文献1aにあるように「(l.1,2)なぜ吠えるのだ 二疋とも/吠えてこつちへかけてくる」をおおいぬ座こいぬ座の二匹の犬の出現を意味していると取るならば、「ちゃんと顔をみせてやれ」やそのあとの犬が吠え出す理由に挙げられているものはすべて、天体観測を好んだ賢治のことを考えると、天体や星座に興味を向けることの喚起であると解釈可能である。




宮沢賢治作 「犬」 五、鑑賞と感想
http://d.hatena.ne.jp/sibafu/20100605/1275664854




■リンク
宮沢賢治作 「犬」 一、作品

宮沢賢治作 「犬」 二、語釈

宮沢賢治作 「犬」 三、先行文献と参考資料

宮沢賢治作 「犬」 四、連ごとの分析

宮沢賢治作 「犬」 五、鑑賞と感想

宮沢賢治作 「犬」 六、参考文献・資料