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「鏡よ、鏡……」

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  女性が児童文学を朗読する声を聞いて、なんて温かい声だろう、と思って癒されていた。

  その女性は20代前半くらいで、声は少しアニメ声っぽく聞こえた。地声がどうかは残念ながら聞いたことがないから判断できないけれども、そう聞こえさせる一つの要因は、児童文学の作品の文章にある。

  「鏡よ鏡……」(柏葉幸子作)という短編の、小学生の男の子と母親の真似をした父親との会話辺りを彼女は朗読していた。

  男の子のほうは「父さんじゃないか!」とか「ほんとにいいんだ!」とかみたいに、少し幼げに書かれている。

  母親の真似をした父親のほうは、「〜ね。」とか「それでがまんして」など、特に語尾が特徴的であり成人の女性をイメージさせる。

  朗読した彼女は、セリフにそこまで感情を込めて読んではいなかったが、地の文を読む際でも穏やかで包み込むような声であって、二人のセリフになるとそれとはまた違った、母親がベッドの傍らで寝る前に朗読するような*自然な「生命」のこもった言葉が聞こえた。

  アニメでは、コナンやのび太のように少年の声に女性がアフレコするこどが当然に行われているが、この場合でも、萌えアニメの少女というよりも、この作品の男の子はコナンやのび太であった。

  とはいえ、アニメや文学作品特有の「役割語」の偉大さを知った。それはいわゆるアニオタが涼宮ハルヒや『けいおん!』のスィーツたちに萌える不可欠の要因にもなっている。


  彼女の朗読には、そういう萌えなどよりかは、母性愛的な感情を呼び起こさせるものがあった。

  そして、児童文学作品はなかなか泣かせるような感動のさせかたが巧い。


*「自然」といっても、生身のある生の世界に近いという意味ではなくて、アニメや文学という形式においての「自然」さなのだとおもう。

ミラクル・ファミリー

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