sibafutukuri

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記号学への夢

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The Books - "An Owl With Knees" (official video)

  アヴァンギャルドとは何か?それは本質的に相対的で、曖昧な概念である。あらゆる断絶の作品は、たとえ今日時代遅れのようにみえても当時はひとつのアヴァンギャルド作品であったかもしれない。
(『ロラン・バルト著作集4 記号学への夢 1958-1964』塚本昌則訳、「31 フランスのアヴァンギャルド演劇」233p、冒頭より)


  The Booksはアヴァンギャルドである。が、アヴァンギャルドではない。The Booksは一見したところ、おもちゃばこをひっくり返したような音楽でありぐちゃぐちゃな印象を受ける。が、音源となる素材がなんであれ、彼らはそれを狭義にいう音楽へ昇華させてしまっている。逆再生した音楽を再逆再生する行程のように、アヴァンギャルドを一回転して音楽に回帰してきたように思える。

  作者の意図を解さず大胆に、音響主義的に解釈するとすれば、The Booksはおもちゃばこをひっくり返すそのやり方が巧すぎる。作曲に偶然性を組み込んだ作曲家としてケージやブーレーズが挙げられるが、The Booksの場合は、出来上がったものが一見したところはちゃめちゃなのにも拘わらず、詳察してみるとあまりにも狭義にいう音楽として筋が通っているので偶然というよりも創発的現象にさえ思えてくる。
  たとえば、"Lost And Safe"というアルバムに収められている‘An Owl With Knees’は、音響的音楽としてはあまりにも整い過ぎていて、たしかに素材としては音響的なものが多いのだが、あまりにも音楽的音楽に聞こえてしまう。とはいえ、音響的素材を音楽の構造にすり替えただけ、とも言えるかもしれない。それが彼らによるThe Booksかもしれない。しかし、ここまで綺麗で技巧なアヴァンギャルドにはそうそうめぐり合えない。私は、このような綺麗で技巧なアヴァンギャルド(音響的音楽あるいは狭義にいう音響)は、同時に、同等の音楽的音楽(狭義にいう音楽)に成り得ると考えている。断っておかなければならないのは、これは音響主義の見地によるもの、ということだ。

  ノイズは私にとって音楽であり、隣人にとってはノイズである。音楽は私にとってノイズであり、隣人にとっては音楽である。これがバルトのいう「本質的に相対的」ということであり、つまりノイズにしろ音楽にしろ絶対的な(価値のある)ものではないということだ。
(sibafu,20100329)


  幻視者または狂人は「自分の見ていないものを見ていると思いこんでいるのだ(モンテーニュの言葉)」と、どうして言うことができようか。
(『知覚の現象学 1』メルロ=ポンティ著、竹内芳郎、小木貞孝訳、「<注意>なるもの、および<判断>なるもの」75p〜76p)

the books - classy penguin