またまたコーヒーの話をするようで悪いのだけれど、『珈琲時間』(全17話)という豊田徹也の描いていた漫画が、今月(12月)号の月刊アフタヌーンで連載を終了した。
なんだか侘しい気持ちになる。この作品を読んでいても特にコーヒーを飲みたくはならないのだけれど。連載が終わったという事実を噛みしめていく内に、コーヒーへの憧憬も募る。
もう毎月あの分厚い雑誌を買わなくてもいいのか、と思うと少し寂しい。豊田徹也の作品を毎月12ページの連載だったけれども、月に一度の大きな楽しみであった。今は他に漫画をほとんど読むことがないので、アフタヌーンに連載されている他の下らなさそうな作品を暇つぶしに眺めるのも然程嫌いではなかった。わざわざ買って読もうとは思わない程度なのだけれど。
この『珈琲時間』は、短編集のようでオムニバス形式とかで、一話一話があまり繋がりを持たない。私は途中の12話から読んだこともあってか、作品内の世界にも話にものめり込みにくくあまり楽しめなかったのだけど。
それでもやはり、彼の描く絵というのは好きだ。精緻な筆が創る静謐な世界がある。そこに漂う空気を吸える気がする。特に、人物の描写がいい。人物のどこか虚ろな眼に見惚れてしまう。大きなアクションなどはほとんど無いことが多いけれど、「時間の流れ」の描写は目を見張るものがある。ろくに動かない下手なアニメよりも、よほど動画的な性質がある。
物語の内容は、ヒューマンドラマとかのような小説に近いものだろうか。日本のへっぽこ俳優の演じる邦画を観るよりも、映画を観ている気になる。という漫画を描いてくれる。今回の『珈琲時間』はいろいろな埋め合わせのようにして描かれたものと感ぜられるし、作品の完成度は然程高くないと思えるが。
そもそも、私が彼を知ったのが、彼の『アンダーカレント』という漫画の単行本を中古でたまたま手に取ったことによる。『アンダーカレント』を読んでから、すっかり彼の才能に惚れてしまった。この作品以外に、単行本は出ていないし当初は他作品の連載もしていなかったから、その才能を認めつつも途方に暮れていた。
そこで、この『珈琲時間』の連載を知って、わざわざ月刊アフタヌーンを月一で購読するに至る。来月からは買うことはないだろうけど。
『アンダーカレント』は、ある種の哲学書だとも捉えている。そのくらいに普遍性に富んでおり、かつ深みのある漫画だと信じている。だからこそ、豊田徹也には期待したい。彼の次回作を心待ちにしている。
この才能を出し惜しみするのは愚劣であるし、これはもっと広く紹介され認知されなければならないと思う。とりあえず、『アンダーカレント』を読んでほしい。
また、豊田徹也本人が、影響を受けた漫画家として谷口ジローの名前を挙げている(らしい)ことも興味深い。谷口ジローという人の描く漫画もまた凄い。非漫画的漫画を描いている、という点でこの二人に共通するものがあると思う。「文芸的漫画」というやつか。
- 作者: 豊田徹也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/11/22
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