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神輿

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  上野の美術館や展覧会へ行くという集まりに友人に誘われて行ったのだけど、気づいたら神輿を担いでいた。


  その集まりの中には顔見知りと初対面の人が半々くらいいて、その初対面の人の地元で祭りがあり「神輿を担ぐと飲み放題食べ放題」ということで新宿から少し外れた街へ向かうことになった。そこの公園にはたこ焼き屋、型抜き、射的、などの出店が立ち並んでいた。「大阪名物とん平焼き」というものも出されていて、これは初めて見たのだけど、お好み焼きとクレープと焼きそばとオムレツが合わさったような奇妙な食べ物だったがおいしかった。


  それで、夕方の少し前頃に神輿担ぎが始まるようで、その周りに集まるとは背中に「祭」と描かれた法被(はっぴ)と帯と鉢巻を強引に渡され、それを着ると日本酒の入ったお茶碗をお婆さんからいただいて呑んだ。


  神輿担ぎが始まるのだけど、如何せん棒の担がれている位置が高すぎて背が届かないものだから肩に乗っからない。仕方なく腕の力で棒を支えることくらいはしておく。しかし、路上でそれを行っていることもあって、車が通ったりするとこちらが一時停止することになる。その止まっている間は神輿を上下に揺らす様で、その下に降りてくる瞬間だけは肩に届く。しかし、肩に届くのだけどその時の衝撃は結構なもので、肩の出っ張っている骨に直撃するものだから二日ほど経った今でも触ると痛む。


  神輿は町内を廻っていく様で、十分ほど担ぎ歩くと、事前に定められた地点で神輿を下し休憩がてらに、その付近の皆様から「接待」を受けるとこになる。この「接待」というのは、事前にお寿司や焼き鳥や餃子やお菓子などの食べ物と、ビールとか日本酒とかお茶などの飲み物も用意されていて、それを担ぎ手たちやそこら辺を走り回っている子供たちが食べ放題呑み放題させていただくことである。


  担ぎ始めというのは本当に唐突にやってきて、実感もないしモチベーションもやる気も気力もなかったから、周りのおっさんやおばさんたちの訳の分からない掛け声などの気迫に圧されて弱気になっていたが、そういう空気の中にいたりお酒が目の前に現れたりすることで段々とこちらの温度も上がってきたりした。それで、ビールを小コップで勧められて飲んだりするのが、仕舞には500mlの缶ビールを渡されたり、その次のポイントでは日本酒があったりするので、どんどん調子にのって呑んでいった。周囲が暗くなるころには神輿が担げるほどではあるがほどよく酩酊し、実は「お金を気にせずお酒を飲める」ということが一番の幸福感を覚えることであった。友人たちはあまり呑んでいなかったから、その場で明言はできなかったが。


  神輿を担がせてもらえたのは、その初対面の人の父親もこのお祭りに参加していたからであった。詳しくは知らないのだけど、そういう親子間のやりとりを羨ましく思った。また、地域内での祭りということだったが担ぎ手たちの温かい交流もそうだし、神輿をおろしたマンションの下の広場や、路地を入ったところの小さな居酒屋や他のお店の前などの地点で「接待」をする人たちとの交流というのも楽しいものであったし活気があった。自分の家は地域ぐるみで何かをやるとかそういった行事には全く参加することがないから、こういう地域社会というのは素晴らしいなと実感した。


  また、祭りや神輿などというのもは、机上で学んだり客として参加することがあっても、見せる側などに居たことは幼少のころにあったくらいで、これもまた新鮮であった。「祭」や「神輿」という語を聞くと、以前はさまざまな出店を思い出したりするのがほとんどであったが、「日本の伝統文化」やらなんやらで学ぶ機会を得た後では、その印象がだいぶ異なってきている。東京にいると「神輿」という担ぐ形態のものをよく見かけるけど、「神輿」とは少し異なるもので「山車(ダシ)」と呼ばれるものがあり、こちらは車輪が付いていて曳いて歩くという違いがある。聞いた話によると、現在東京にある神輿には、明治ころに地方で維持するのが大変になったなどで東京に持ってきたというものもあるそうだ。その運ぶ際にもお祭りの際と同様に、人々が担いだりして運んだそうで、大変な労力だろうけど相当な一大行事でとても楽しそうに思える。「神様」のお引っ越しという捉え方をすると、なんだか『千と千尋の神隠し』で描かれている神々が頭に浮かぶ。


  「神輿(御輿)」は文字を見れば大体は察しがつくが、神霊がそこに一時的に留まるという意味合いがある。「山車(ダシ)」の中の「ヤマ」と呼ばれる形態のものは神霊の依り代となるものとされている。この「依り代」というのが、各地のさまざまな伝統行事でも、その媒体は違えど神霊を招くものとして考えられているのが面白い。何も知らずに「祭」という行事を眺めると人が大勢集まりワーワー騒いで、出店でいろいろ食べてというものでしかないが、「神霊」とか日本に古くからある「抽象的信仰の対象」というものを思い浮かべると、意外なものが垣間見られるように感ぜられる。


  現在年配の方々もどれほど「神霊」などについて考え「祭」を進行しているかは分からないが、例え形骸化しようとも現在各地で多く行われている「祭」というのは続けて行く意味があるだろうと思う。


  渋谷のスクランブル交差点なんてのはあれだけ人が蠢いていても、まったくもって人々の交流も温かい雰囲気も生まれず、むしろ殺伐とし汚物の象徴のような場所になっている。けれど、「祭」とは酒の力もあってかその空間全体が異様な高揚感に包まれて、普段生活しているそれとは全くの異次元として感ぜられることが面白い。

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